もうすぐ2023年も終わりですね。
島鉄です。
今年はほぼ琵琶湖周辺を旅していました。『埋物の庭Vol.5 』の記事のためですね。
そうでなくても関西は個人的によく行っていますし、せっかくだし今まで行ったことのないところへ旅したい……そう思っていました。
そこで私が目のつけたのは岡山県や島根県の山陽・山陰エリアです。
四国に帰省する際、岡山駅には寄るのですが外をブラブラ歩いた経験すらありません。
友人が大学時代に岡山~四国旅行の思い出話を居酒屋でしていたので、何となく岡山の観光スポットは把握しています。
しかし山陰に関しては皆無。妹が最近仕事で鳥取・米子に行った話をしていたくらい……。あとはいそのくんが自動車運転免許合宿に行ってたとか……。
観光のイメージ絶無。
お城と温泉に行ければなんでもいいや、あと大学もあるでしょ。
そんな軽い気持ちで4日間岡山(山陽)と山陰を巡る旅を7月に始めたのでした。
記事にするまでだいぶ間が空いてしまいました。
岡山城
立派なJR岡山駅は中四国の玄関口で新幹線も通っています。そして駅前に建つ桃太郎像に自分が岡山にいることを実感します。JR広島駅はチンチン電車(とカープファン)を見て広島に来たことを実感しましたが、岡山といったら桃太郎ですね。
さてこの都会的なJR岡山駅から可愛らしいチンチン電車に揺られて、わずか5分ほどで岡山城の入り口までたどり着きます。
ここは城下電停。
電停に直結する形で地下へとつながる階段があります。
なんでか知らないですが地下道にサボテンが飾られています。ゆるい空間。
奈良東大寺公園の地下道もゆるかったな~。
しばらく公園内を歩いていると、立派な城の姿が見えます。
このお城の入り口のトイレは屋外とは思えないほどきれいでした。清掃員のおじいさんがいらしたので、毎日綺麗に掃除されているのでしょう。岡山の観光ポテンシャルが伺えますね。
岡山城は開けた公園になっており、往時をしのぶことのできるよう地面に何の間が昔ここにあったのか表示されています。
明治維新後も持ちこたえた岡山城が戦災でなくなってしまったのは誠に惜しいものですが、城の間取りが表示されていることや、築城当時の石垣が展示されていることは私的に嬉しいポイントです。
さてここからさらに門をくぐると天守のある広場に出ます。
岡山城は別名「烏城」と呼ばれ、真っ黒な外観が特徴的です。
お隣の兵庫県にある姫路城は「白鷺城」と呼ばれてますが、対になっているようで面白いですね。
まったく調べずに来たので驚いたのですが、なんと岡山城は2022年に令和の大改修を終えて、内部がピカピカにリニューアルされたのは当然のこと、美術館・市民の憩いの場としての機能を備えた空間に生まれ変わっていました。
私は大抵何も考えず観光に行くと改修中でガッカリしたりするのですが、今回はラッキーでした。
公式HPから岡山城改修にかける熱い思いが伝わってきます。
私的に気に入った岡山城のポイントは以下の通りです。
・冷房が効いている(現存天守と違って快適)
・見るだけでなく触る、着る、乗る(日本馬の模型)体験ができる
・展示監修の磯田道史氏のコラム付き展示が面白い
・やろうと思えば1階をほぼ貸し切りにできる
みなさん、真夏や真冬でも岡山城は快適ですし、多目的スペースとして使うこともできます。こんなお城なかなかないですよ!
眺望も悪くないです。市内が一望できます。あとしゃちほこがメチャクチャ金ぴか。
さらに……岡山城のすぐ横にある日本三大庭園の一つ「後楽園」と岡山出身の有名画家である竹久夢二の美術館である「夢二郷土美術館」にも入れる共通入場券がたったの1,280円で手に入ります。3つの施設はとても近いのでオススメです。
とゆーわけで岡山城で涼みながらじっくり展示物を眺め、宇喜多、小早川、池田……と時代とともに移り変わる城主3氏に思いを馳せたところで、本格的に暑くなる前に後楽園へと向かいます。
後楽園
さて岡山城と後楽園の間に流れる旭川を渡ります。なかなかいい景色です。天気はあまりよくないですけど。この日は晴れの国おかやまらしからぬ曇り空でした。ただ、後楽園は晴れていたら陽射しがキツくて暑いですからね、曇天の方がいいでしょう。
そう自分を慰めてやってきました、日本三大庭園の一つ後楽園!
びっくりするくらい広いです。岡山城より広いかもしれない。
庭園、というよかお屋敷みたい。まあ実際、岡山藩藩主の大名庭園なわけですが。面積は約14ha。広いですね。東京ドーム3個分*1よか大きいわけです。
これは全部回るの結構時間がかかりそうですね。そう考えると4年前、雪のちらつく真冬の金沢で、同じ日本三大庭園の兼六園に行かなかったのは正解だったかもしれないなあ。
後楽園は藤棚や築山など配置されているのですが、広くて一見すると分かりません。さすが岡山藩主*2の庭園、規模が違いますね。
遠目に見ても人でごったかえす築山に登ってみました。6メートルの山頂で写真を撮る人多数。どれどれ、そんなに眺めがよいのかな……?
おお~。たしかに庭園を一望できます。個人的には山腹の唯心堂で冷えたお茶を飲みながら本を読むのが楽しそう(台無し)。
唯心堂で休憩をしてから唯心山を降りフラフラ歩いていると風代わりな建物が見えます。
東屋のなかに川がひかれている?!
中央に水路を通し6つの石を配置した不思議なこの建物は流店と呼びます。賓客の接待などで休憩所として使われたそう。夏は目に涼しく、足を水に漬けたらさぞ気持ちよさそうですね。後楽園を訪れた時期が7月だったので余計にそう思いました。
ちなみにこの流店は戦災を免れたそうで、珍しいだけでなく貴重な建物なのです。
なんか田んぼみたいなエリアがあるな……と思って近づいてみたらホントに田んぼでした。そんなことってあるんですね。もち米を育てているようです。青々としていて目に優しい。茶畑もあります。何でもあるな、この庭園。
茶畑の横にある茶店では抹茶ソフトに冷えたお茶を出しています。茶づくしですね。
それらを無視して進むと巨大な岩がありました!これは一体……?
どうやら、この岩の安置されているお堂は慈眼堂といい、観音像を祀った庭園における信仰の場だったようです。巨岩は烏帽子岩だそう。大きすぎて烏帽子っぽさは感じませんでしたが、木陰で涼しいお堂の上から庭園を眺めるのはなかなか愉快です。
途中で休憩がてら茶店に立ち寄る人が多いからか、慈眼堂は空いていて穴場スポットでした。ちょっと階段が急ですけど、登ってみるのも悪くないですよ。
庭園に舞い降りてきたタンチョウが瑞兆*3だと藩主の池田綱政が和歌を詠んだ……そんな故事や江戸時代にツルベヤが用意され、戦後にタンチョウがいなくなった時期もありながら、現代でもタンチョウが後楽園にはいます。
めでたいなー、と思いつつ本格的に陽射しが強くなり暑くなったので後楽園に別れを告げます。
午前中に後楽園を楽しみ、昼食後は冷暖房完備の岡山城へ行くプランがよいのかもしれません。まったくそんなことを考えていませんでした。
でも大丈夫。
これから冷房の効いた施設に行くので!!
夢二郷土美術館
川べりに夢二の詠んだ句碑を見て、この辺にあるのかな……?と思い交差点まで歩くとひときわ目立つ建物が視界に入ります。
これが夢二郷土美術館ですね、間違いない。
ここで竹久夢二について軽く説明をします。
明治17年、岡山に生まれた夢二は18歳で上京し、雑誌や新聞にコマ絵を寄稿するところから画家としての道を歩み始めます。
やがて「夢二式美人」といわれる独特の情感をたたえた美人画のスタイルを確立、叙情あふれる画集を次々と発表して人気作家となりました。
また、雑誌の表紙や広告から、千代紙、便箋、封筒、うちわ、半襟、浴衣などの日用品まで幅広くデザインを手がけ、
商業美術や出版の世界でも卓越した存在でした。
仕事の領域は画家にとどまらず、今でいうイラストレーター、グラフィックデザイナー、あるいはアートディレクターの先駆者といえるでしょう。そんな夢二の姿は、19世紀末のパリで活躍したベル・エポックを象徴する画家、トゥールーズ=ロートレック(1864〜1901)に重なります。
ともに画壇に属さず、版画やポスターを独立したジャンルにまで高めた2人は、時代の先端を読み取る感性を持っていました。
明治30年代ごろから、ヨーロッパの世紀末芸術の波が日本にも押し寄せます。
夢二も、洋雑誌や美術書からロートレックをはじめ、
ゴッホ、ゴーギャン、ルドン、ムンク、ビアズリーらの図版を切り抜いて貼りつけたスクラップ・ブックを残しており、
熱心に研究したことがうかがえます。
一方、ロートレックら世紀末の芸術家も日本美術の影響を受けていて、時を超えて呼応するかのような関係に興味は尽きません。
ちなみに屋内から入って左側には竹久夢二にまつわる本や、地元の小学生が夢二さん*4についてまとめた新聞もあります。
館内は空いていたので、20分くらいある夢二の生涯と郷土岡山についてのビデオを一人でずっと見ていました。ここも穴場なのかもしれません。
館内は原則撮影禁止なので、ぜひ足を運んでください……と言いたいところですが、一応写真を撮ることのできるエリアがありました。
御庭番猫、黑の助の任命状です。
……?
なにこれ。
そう思われた方も多いでしょう。竹久夢二は美人画で有名ですが、それだけではなく、現代のサンリオのような可愛らしいデザインのイラストや絵葉書、日用品を発案・販売していました。そのなかで黒猫をモチーフに描いた豆本があり、この豆本にでてくる猫にそっくりな猫が美術館周辺に現れ保護したのだとか。
夢二郷土美術館 お庭番ねこ「黑の助」のご紹介 | 夢二郷土美術館
いやあ、そんなことってあるんですね。この日は残念ながら「黑の助」には出会えませんでした。
その代わり、夢二のデザインスクラップブックや東京日本橋にかつてあった「港屋絵草紙店」の絵葉書や提灯、夢二式美人画の数々をゆっくり堪能することができました。中には夢二のアメリカ西海岸遊学中の裸婦スケッチ*5があり、来てよかったなあと思わされました。
いやあ、それにしても空いててよかったです*6。なんでこんなに空いてたのかな。ラッキーでした。
夢二郷土美術館に行って初めて知ったのですが、他にも伊香保に竹久夢二記念館、金沢湯桶夢二館などがあるようです。いつか伊香保に行かねば。
絵葉書やマグネットなどの土産物を購入し、美術館を出るとすっかり太陽がギラギラ照りつける夏日になっていました。
岡山大学
そんな暑い夏の日に私が向かったのはもちろん岡山大学。
大学キャンパス巡りが趣味なので……。折角旅行で訪れたならば、見てみようかなくらいの熱量ですが。
岡山駅からJRで一駅の法界院駅から徒歩10分とアクセスも良好です。
……後で知ったのですが、JRは1日1本しか来ないためバスか自転車で訪れるのがいいみたいですね。
炎天下ですが夢二郷土美術館から川沿いを歩いていき、1時間ほどで岡山大学へ着くと分かったので徒歩で向かいます。
川沿いはたいてい遮蔽物がないので激アツなのですが、そんなの関係ありません。
……10分くらい歩いて思いましたが、夏に川沿いを歩くなんて頭がフットーしそう、なのでやめた方がいいですね。本当に。水筒の中身がカラになってしまいました。
過酷な道ですが、歩いているとバスに乗ってしまうと通り過ぎてしまう雑貨屋さんや、地元の民芸品店、素敵なレトロモダン建築に出会えます。
せっかく岡山に来たのだし、地元の町並みやお店を覗くことができるのは嬉しいな。
水筒の中身が無くなるまではそう思っていました。みなさん、夏に訪れる際は水分を多めに持っていきましょう。当たり前?
道中にアホみたいにでかいラ・ムー*7があるので水分がなくなっても安心してください、大抵のものは補給できます。
蚊柱を避けつつ、川から離れてヘロヘロ状態で踏切を渡り、歩くこと約45分。
とゆーわけで岡山大学に着きました!
時計塔を見ると大学、って感じがしますね。
大学通りの広い歩道、店の前に停められた大量の自転車、ライブハウス前でごったがえすギターを背負った学生たち……これぞ地方国立大学*8、とゆー風景にテンションが上がります。
私は個人的に都心のビルキャンパスに通っていたのでこういうキャンパス風景に憧れが少しあるのです。岡大生でなくても地方国立大出身の方は懐かしさを覚える……ハズ。
広大な敷地ですが、7月ということもありキャンパス内を歩く学生の姿はまばらです。
大学生協の福利施設は果物の名前が付けられており、フルーツ王国岡山っぽさを感じます。ちなみにこの青い施設は「マスカットユニオン」と呼びます。
青いからピオーネ*9かと思ったよ。
図書館からマスカットユニオン、さらに先へだだっ広いキャンパス内を歩きます。レトロとまではいかない程度に古い建物が並んでいるなかで、急にピカピカの新しい施設が現れます。
隈研吾氏*10の国立競技場を思わせる白木の外壁が特徴的なこの建物は、岡山大の新工学部(工学部と環境理工学部を再編・統合)の大講義堂と研究スペースが一体となった共育共創コモンズです。
古い建物が鉄筋コンクリート造で、新しい建物が木造なのは面白いなあ。
ちなみにグッドジョブセンターはプレハブ工法でした。なんで……?
仮の施設で今は新しくなっているのかもしれません。広い大学キャンパスは色んな建物があって楽しいですね。
岡山大を満喫して帰路につきます。駅に着いてびっくりしたのですが、岡山大の最寄駅である法界院駅は無人駅*11でした。
この駅には通勤通学時間帯を除くと1時間に1本しか電車が来ません。そのためか発車時間ギリギリまで待ってくれます。たすかる。
それでは最後に岡山駅前アーケード街の写真でお別れです。厳しい陽射しを遮る銀天街、いいなあ。
(島鉄)
*1:後楽園球場何個分か考えるとややこしい……
*2:池田綱政
*3:めでたいことの起こる予兆
*4:郷土の偉人だからか“さん”づけなのが興味深い
*5:前述のスクラップブックしかり竹久夢二は中央画壇に属していませんでしたが、西洋画壇の研究を独自にしていました
*6:訪問した時間帯がちょうどお昼時だったからかもしれません
*7:岡山県発祥の大黒屋物産のディスカウントショップ。西日本を中心に新潟から熊本まで出店しています
*8:偏見?
*9:マスカット、ピーチ、ピオーネの3種類あります。ピオーネは巨峰を母に持つ黒ブドウですね
*10:ちなみに隈研吾氏は2020年より岡山大の特別招聘教授であり、この建物の設計・施工監理を行っています
*11:令和3年6月1日より