前の記事に書きましたが、悔しいくやしい思い出をGW中にしました、島鉄です。
結果的にいそのくんが記事にしている通り、お目当ての中世武士団店には行けたので、その悔しさは解消されましたが、まさか1週間に2回も佐倉市に行くことになるとは思わなかったです。
で、6月も終わりそうなのでそろそろ記事にしようかと思い立ったわけですね。
東京から約一時間半ほどでしょうか。成田空港が近く、千葉県に来た感が強い、そんな近くて遠い場所が佐倉です。
隣駅が大佐倉なのいいな。このときはまさか展示が見られないとは露ほども思っていない呑気な島鉄。
どうやら国立歴史民俗博物館はお城の跡に建っているみたいです。
武家屋敷も建ち並び、『兵の関八州』のイメージが膨らみますね。
歴史民俗博物館に向かう道もなかなかに興味深いものであふれています。
京成佐倉駅から徒歩15分とやや離れているのですが、時間に余裕のある方は歩いてみるのも一興です。ちなみに、いそのくんと行った結果、島鉄的には博物館の目の前に停車してくれるバスが一番楽だという結論に至りました。
本数こそ少ないものの、東京駅から一本で行けてしまいます。
心なしか建っている民家にも歴史を感じます。
ここらへんがこの日のテンションのピークだったかもしれません。
国立歴史民俗博物館に入るとお出迎えしてくれるのが大分は臼杵の摩崖仏(のレプリカ)。
……なんで?
臼杵の生姜せんべいを愛媛に住む祖父がよく送ってくれたなあ。家族みんななんだかんだ手を付けないから、大体湿ってた思い出。
レプリカゆえに現地では鑑賞できない角度からゆっくり見られます。摩崖仏マニアにはたまらないですね(←テキトー)。
他にも旧城址だけあって、佐倉城は近世に造られた城郭としては珍しく石垣のない土塁を築いた城であったことや、明治時代以降は旧軍(佐倉連隊)施設として利用されたため寺社が立ち退きを迫られたこと、現歴史民俗博物館は侍屋敷の上に建っていることなど色々解説板が置いてあり、勉強になります。
よし!中世武士団に会いに行くぞー!!
……からの、時間指定オーバー(完全にこちらが悪い)、あとの観覧時間の予約は全て埋まってますコンボを喰らい、島鉄は入館するも何も見られないことが確定したのでした。
てことで、日本歴史民俗博物館に入館するも肝心の展示が見られず、提携している日本全土の博物館・美術館の図録を眺めながら*1、やることがなくなってしまった島鉄は「佐倉城址公園」を満喫することにしました。
先ほど紹介した通り、ここ日本歴史民俗博物館はお城の跡に建っているのです。城の跡=旧軍施設という例*2に漏れず、ここも旧陸軍施設も見られます。
これは、中世武士団展に負けず劣らず面白そうですね!(←負け惜しみ)
あと歴史民俗博物館の自動ドア、日本だとあまり見ないタイプでびっくりしました。これだけでも面白い(負け惜しみ2)。
さて、歴史民俗博物館を出ますと真横に見えるのが復元したという馬出し空濠です。
さらにずんずん進むと本丸までのロードマップが道すがらあるので、歩いていきます。
ちなみに、ここ佐倉市は車社会ですから、当然ドデカイ駐車場がここ歴史民俗博物館および佐倉城址公園にも存在します。
よって情緒のかけらもない、と言っては失礼ですがこの陸軍病院跡も
パーキングになってました。かなしい。
もっとも、その陸軍も佐倉城の建物を取り壊した上に兵舎を置いたわけですから、スクラップ&ビルドとゆーことなのでしょー。
しかし、城の礎石をそのまま転用するなんてすごいですね……。
さらに旧軍関係でいうと、本丸跡には夫婦モッコクという二本のモッコクが並んで生えている場所があるのですが、そこに兵士の落書きが彫られているというのです。
思った以上にガッツリ彫られてました。まだ100年も経過してませんもんね。
それにしても、今のご時世なら炎上しかねません。デジタルタトゥーも真っ青ですね。
天然記念物もそれ以外の自然も大事に守っていきたいものです。
また、この本丸跡に至るまでに鬱蒼とした谷が嫌でも目に入ってくるのですが、これはすべて空堀。それなりに落差があるため、ちょっとした渓谷のようで愉快なハイキング気分が味わえるのですが、戦いに備えたものなんですよね。水がなくても敵の矢、石が飛んでくる中、堀を越えるのはヒジョーに苦しそうです。
本丸跡(二の丸なども含む)はだだっ広い公園になっています。これは絶好のピクニックスポット。テントを張る人やバトミントンに興じる人が見られました。
なお天守自体は明治時代を待つことなく、文化十年(1813)に焼失しています。が、今でも佐倉城址公園センター(滅茶苦茶端っこにある)にいくと模型が飾られているようです。百名城スタンプもセンターに置いてあるので、お城好きは強制的に城郭全体を歩くことになりそうです。
島鉄はあきらめました。だってこれから行く先の反対方向なんだもの。
日米修好通商条約を結ぼうと努力した、幕末の開国の重要人物である堀田正睦とハリス像ではありませんか!
下田に行ったときに見た覚えが……。
しかし堀田正睦ってこんな顔でしたっけ。氏は開国派で佐倉藩出身ということしか知りません。老中首座ながら、攘夷派や保守的な時の孝明天皇(条約の勅許を天皇にもらう必要がある)に苦労した人ってイメージですね。しかし、郷土ではその報われなさも含めて評価されているのですね……。
よかったよかった。
とゆーのは主に帰って編集作業しながらしみじみしていたのであって、このとき実際に島鉄が夢中になっていたのはこちら!!
ええ、読者諸兄の困惑する顔が目に浮かびます。
この階段ナニ?
答えは……。
富士塚です!!!
……あッ!ブラウザバックしないでください!!
たしかに、現地にいた島鉄も当時は「いやいやいや……こんなショボい富士塚ある?」
と舐め腐ってましたが、それなりにいいながめなのですよ。
ホラ、綺麗ではないですか。
正直、期待値が下がりまくっていたからか「おおー」と声が漏れてしまいました。
天守閣も残っていないですし、今や城址といえど、だだっ広い公園のようなものですがこうして景色を見ると印旛沼にほど近い、近世に開発された土地の顔を一望出来て面白いと思いませんか?
……ちなみに今の季節(夏)は蚊が大量発生中だと思いますので、お気をつけてください。
他にも姥が池には蛙と可憐なカキツバタが咲きほこっていました。
わりとエグイなー、伝説。
青や紫色の花が多いですが、私的には黄色のカキツバタがお気に入りです。
春~初夏っぽくてグー。しかしこの記事を上げた6月末は真夏日続きで、遠い思い出になってしまいましたが……。
カキツバタの咲く中、旧軍施設の訓練用階段が。
後日、いそのくんと実際に登ってみましたが、ケッコー高くて怖いです。
段差も急ですし。
利用されていた頃の写真を見ると階段に登るための階段がある、とゆーのがどこかおかしいですね。
お城跡を一周して、島鉄は外の武家屋敷を見にさらに足を延ばします。
思えば、「中世武士団展」を見に来ただけなのに……。
佐倉市は少し東京都心からは遠いですが、成田空港から近いので歴史ファンの非関東民は必見かもしれませんね。
もう2か月前のことですが……続きます。
(島鉄)