駅前も再開発が進み、くら寿司の看板がいちだんと目立っております。
学生ローンの看板が目立っていた時代とどちらがましなのでしょーか。
どーも、未だ学生の街に心惹かれるモラトリアムな島鉄です。
さて、この学生のにぎわう(コロナ禍で昔ほどではないと思いますが)高田馬場から神田川を渡って少し歩くと、都内で蛍が見られる素敵な自然公園があることをみなさまご存じでしょーか。
その名も……
おとめやま公園
かわゆい名前ですよね。
かわゆくて蛍って言うと、セーラーサターン=土萠ほたるですよね(←???)
もう、これはとっっっても、おとめちっくな公園ではなかろーか。
(↑↑唐突な広告。”おとめちっく”というワードがでてきます。同作者の『サムライうさぎ』って結局どーなったんでしたっけ)
草がピンクとか。蛍が光るのは求愛行動ですし、でっかいLOVE(ロバート・インディアナ氏謹製)オブジェとか置いてあるかもしれません。
それにしても、なんと雅な名前なのでしょう。それもそのはず、おとめやま公園は将軍にしか狩りを許されなかった禁猟地。「御留山、御禁止山」と呼ばれていたそうな。
……ぜんぜんおとめちっくカンケーないですね。御禁止と書いておとめと読ませるのすごいな。
神田川の上を黄色い西武の電車が走ります。この先にかつての将軍の鷹狩場があるのでしょうか。
ちなみに、江戸時代以降はおとめ山公園一帯は近衛家の所有となり、のちに用地を取得した相馬家の屋敷と回遊式庭園が造られました。この庭園が公園の原型となっているわけですね。
戦後は大蔵省に所有が移り、公務員住宅となる計画もあったそうですが、地元の陳情から落合秘境とも呼ばれる自然環境が守られ、現在に至るまで保全されているのだとか。
地元の人たちが環境を守ろうと立ち上がり、今も伝えられていることが素敵ですね。
徒歩10分もかからず着いた、お・と・め・の……山*2!!
さて、おとめ山通りをはさんで公園は2つに分かれています。平成26年に拡張して現在の大きさになったようです。その大きさは約2.75ヘクタールと、東京ドーム(4.7ヘクタール)の60%ほど。
いまいち伝わりにくい大きさですが、閑静な住宅街のなかにあることを考えると、それなりの広さです。
何かよくわからない実が大量に落ちています。さえずる鳥も食べないとゆーことはあまり美味しくないのかな。
あとで調べたところ、この青い実の生る草はジャノヒゲみたいです。日陰に強く、庭園の下草としてよく用いられているそう。そのわりにこんな美しい色の実をつけるんですね。
またおとめ山公園は湧水があり、東京都の名湧水57選にも選定されているのだとか。
明治維新後、近衛家の所有地になり、大正年間に(相馬藩出身)相馬家がおとめ山公園西側部分を取得、長岡安平が設計した池泉を中心とした回遊式庭園を築造し、現在の原型となっているといいます。戦後は大蔵省の所有となっていたものの、昭和44年に新宿区立おとめ山公園として開園、園内の湧水は「東京都の名湧水57選」に選定されています。当地周辺は、江戸時代よりホタル狩りの名所として知られ、江戸名所図会にも描かれていましたが、開発に伴いホタルは姿を消してしまったことから、昭和48年からこの公園でホタルが飼育されています。
(出典:「猫の足あと」さんよりhttps://tesshow.jp/shinjuku/sight_uochiai_otome.html)
↑↑東京の名湧水には、都心と比較して自然の残された多摩地域のみならず離島地域も含まれています。面白いですね。しかし、57とはまたハンパな数字……。
前掲の公園地図に谷戸のもり、という表記がされています。
ここ、おとめ山公園は谷が入り込んだ地形となっており、それが谷戸と呼ばれているそうな。そして、公園のある落合地域は神田川と妙正寺側の”落ち合う”ことが地名の由来となっています。
公園自体は落合崖線*3上に位置しています。
なるほど、公園入口から斜面になっているのは歩くと分かりますが、歴史的な意味だけでなく、地形的にも保全する価値のあるところなんですね。
この日はすこぶる快晴。斜面緑地の上から見晴らすと気持ち良いですね。
湧水57選に入っているだけあって、おとめ山公園の小さな池と川には都心には珍しい生物がいるみたいです。
無論、この貴重な自然環境を後世に伝えるべく生物をとるのはご法度、御禁止山(?)なのですが、公園管理の方からお話を伺ったところ唯一アメリカザリガニだけは取り放題みたいです。外来種で環境を破壊するからでしょうね。なんだか可哀そうな気もしますが……。
おおー、木道を渡って相馬家の屋敷・庭園のあった地区へ行くと、開けた斜面の地区とは違った印象を受けます。
なるほど、これは谷が入り込んだ谷戸の地形だとよくわかります。
前掲の鯉もこのゾーンにいました。他にはヒキガエルも。こちらの方が動物にとっては過ごしやすいのかな?と思わされます。
公園管理所の目の前に白梅と紅梅が咲いており、まだまだ気温も低く花がほとんど咲いていない時期でしたが、春を感じて癒されます。
そしてその梅の木の後ろにあるのが蛍舎となっています。
夏になると蛍舎に暗幕をかけてその光を愛でるのだとか。
風流ですね。
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。(『枕草子』冒頭)
夏は夜、のみ現代日本だとなかなか感じられないかもしれませんね。
アニメ『平家物語』でも、明りのない夜を描くことについて触れられていたなあ。
しかし、落合地域の人たちが江戸時代以来の蛍観賞を望み、地元の湧水で蛍を飼育しているのは素敵な試みですね。ちなみにゲンジホタル、ヘイケホタルどちらもいるみたいです。
ただそれ以上にインパクトが大きかったのはヘビの抜け殻と毎年駆除されているスズメバチ。自然環境をそのままに……という公園ですから、マムシ&スズメバチなど危険な生物もいるのですね。夏場は注意が必要です。
そんなおとめ山公園を後にして、駅へと向かおうと思ったのですが、隣に小さな神社があることを地図で発見しました。
これは向かわなくっちゃ……と公園を出てすぐ脇の路地を進みます。猫も日向ぼっこをしている穏やかで静謐な住空間。
かわいらしいお稲荷さまが鎮座しています。ここは東山稲荷神社。
由緒によると、源経基*4がこの地を治めていた時、時の帝である醍醐天皇に京都稲荷山から勧進するべく進言したのが始まりだとか。
源経基は京から下向して関東に入るも、平将門に追い払われ逃げ帰る……。その後、承平天慶の乱*5にて直接乱を平定することはなかったものの、朝廷から評価され鎮守府将軍となりました。
まさしく古代における武家の興りを象徴する人物の一人です。
ふーむ。なかなか歴史のある神社なのですね。小さいながら、境内は坂の上にあり眺めがとても良好です。そして、すぐ隣には「おとめ山公園」。
最後は武士のロマンを感じつつ、おとめ山一帯を去りました。
(↑↑まあ、ハマってますからね、『平家物語』に。『犬王』も楽しみです)
こんなところで最後は神田川のほとりでオチをつけようか……なんて思った矢先、とんでもないモノを見つけました!!
呪物です。
否、呪いよりもなによりも、この自販機”寺ッピング”*6されているではありませんか!!
大悲山観音寺なんてお寺さんが高田馬場にあるんですね。
都会にある心安らぐ異空間
……ホントに~?駅前の自遊空間よりも安らぐの~?
高田馬場の歴史と伝統はそこにある
……またまたあ~。
しかし、大悲山という山号がかかっこいいし、存在を知らなかった(無知)ので、向かうことにしました。
前言撤回します。歴史と伝統も心安らぎ度もまだまだはかり知れませんが、山門くぐって5秒でストゥーパ、は度肝を抜かれました。
すごい。
観音寺なのでとーぜん(?)観音様もいらっしゃいます。中性的なお顔立ちの観音像が多いイメージですけど、この観音様は凛々しいですね。
さらに境内を散策してみると、ななんと!吉川英治氏の石碑が!
正面には”呼潮遍路”の文字が彫られていました。吉川氏の著作である『鳴門秘帖』となにか関係があるのでしょーか。
吉川英治氏というと『宮本武蔵』が有名ですが、『新・平家物語』も有名ですよね。
古代の庶民と武家・貴族の興亡……、西行や日本三大怨霊、崇徳上皇など武士以外にもスポットライトをあてた作品です。
なるほど高田馬場の歴史と伝統……のキャッチコピーも納得ですね。
あとすぐ近くに卵がメチャクチャ供えられてました。
え?!なんで?!と一瞬混乱しましたが、よく見ると蛇霊供養のようですね。
なるほど、好物の卵をお供えしているわけです。にしてもこんなに置いて腐ったりしないのかな……。冬はいいけど夏とかどーなんだろ、といらぬ心配をしてしまいます。
そういえば、おとめ山公園にも長ーいヘビの抜け殻がありましたけど、新宿区とはいえ、意外とこの辺は生き物がそれなりにいるのでしょうか。
お寺を出て高田馬場駅へと向かう坂を下っていくと、学生街らしい居酒屋やチェーン店のみならず、タイ料理やベトナム料理の看板がチラホラ見えました。
難民受け入れの歴史から有名なミャンマー系のお店も多いです。
www.rakumachi.jp(↑↑なるほど、高田馬場にほどちかい中井の寺院にミャンマー人僧侶がいて、そのツテで……とは知りませんでした)
最後にメチャメチャ中国語の看板が多くて、戸惑う高田馬場駅に着き、帰路へと向かうのでした。
自然→歴史→異国情緒。
高田馬場ってやっぱりカオスですね。そこがよい、のかな~?
(島鉄)