埋物の庭

埋物の庭

街中にあるつい見落とされがちで埋もれてしまっているもの(=埋物、まいぶつ)を紹介します。

新宮 過去と現在それから未来

宣言が解除されたので和歌山に旅行に出かけた。

 

白浜、熊野、新宮、紀伊勝浦

このあたりに来るのはこれで3回目だ。

 

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王子ヶ浜

前回は卒業間近の大学4年の2月に来た。

宗教学実習という授業で熊野信仰について学んだり神倉神社の御燈祭に参加した。

 

その前は大学1年生の8月。

ひとりで東京から青春18切符で大阪を目指す道中だった。紀勢本線はとてつもなく長かった。

 

新宮駅で降りるのもいよいよ今回で3回目だ。ここはJR西日本JR東海の境界駅。

 

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紀勢本線の路線図

 

新宮駅には踏切がある。

初めて来たときはこの場所に立ってずいぶん遠いところに来たものだと旅情を感じた。そして2回目、3回目と来るたびに思い入れが深まっている。

自分にとって特別な場所だ。普通の踏切だけど。

 

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神倉神社のある権現山が見える

 

3回目なので町の様子はだいたい知っている。

今回はレンタサイクルを借りて一日ぶらぶらした。

 

神倉神社の階段はあいかわらず急で、よく祭りのときここを松明をもってわらじで歩けたなと驚く。

 

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参加した回だった

 

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石段を登りきるとゴトビキ岩と拝殿があって海を望める。

海が見えたので、浜に向かった。

 

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王子ヶ浜には前回来たときからずっと心惹かれている。

この海岸は熊野川から流れてきた砂礫でできた礫浜だ。

 

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足元の石が波で崩れていく音を聴いているととても落ち着く。

 

果てしない海を見つめながら、南方の浄土を目指して渡海した人たち(補陀落渡海)のことを想像する。

海は生命の源であるけれど人間は海では生きていけないという矛盾。

 

寄せては返す波を見つめているうちにいまがいつなのかわからなくなってくる。

かつてこの光景を見ていた自分、いまの自分、いつかの自分。

過現未一切の私が波音のなかで融けていく。

 

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新宮から紀伊勝浦までバスに乗った。

バスに乗っていると前回王子ヶ浜からなぜか7km先の宇久井駅まで歩いたことを思い出す。

 

 

なぜかどうしても歩きたくなって、夜行バスの時間ギリギリまで国道沿いを歩いたのだった。

 

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当時の写真

 

当時聴いていたパスピエの『&DNA』をバスのなかで聴く。

 



 

「DISTANCE」→「ハイパーリアリスト」→「ああ、無情」→「メーデー」→「マイ・フィクション」→「スーパーカー」と聴いていると、このアルバムはいまこの瞬間のために作られたのだという気がして泣きそうになった。

 

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ずいぶん感傷的になってしまった。

 

最後に王子ヶ浜をグーグルマップで見ているとこんなクチコミがあったのでこれでオチをつけよう。

 

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あなたの言っていることをいくつかのビデオで確認できるようにしたぞ、海外ニキ!