埋物の庭

埋物の庭

街中にあるつい見落とされがちで埋もれてしまっているもの(=埋物、まいぶつ)を紹介します。

【過去編】タオルと高野山

2回目のワクチン接種を受けた。


熱や頭痛などの副反応を乗り越えホッとしている。しかし疫病との戦いはまだまだ続きそうだ。

 

しばらく寝込んでいたので何日分かまとめて洗濯をしていると、かなりくたびれているタオルが目についた。ご苦労さまと捨てることにした。ふだん意識していなかったがそれは高野山の宿坊でもらったタオルだった。当時のことを思い出す。

 

大学3年のときに高野山町石道を歩いた。
高野山町石道は、山麓九度山から山上の壇上伽藍へと続く参道だ。巡礼者を導くように1町ごとに石柱が立っていて、それが全部で180基ある。1町がおおよそ109mだから、全長22kmにもなる長い道だ。

 

ところで行ったことのある方はご存知かもしれないが、高野山へはケーブルカーが通っている。それに乗ればすぐ山上までたどり着くことができる。ではなぜわざわざ歩いたか。理由は単純で、なんかすごいことをしたかったのだ。

 

早朝から登り始めて7時間以上歩き、山上にようやく到着したのは15時くらいだった。こう書くとそれまでだけど、当日は雨がずっと降っていて非常にきつかった。道は整備されているので晴れていれば歩きやすいと思うのだが、雨のなかでは関係なかった。いつまで歩けば着くのかわからない焦りと不安。一定間隔で現れる町石が作りだす催眠的なリズム。聖地を意識することで心に生じる試されているという感覚。

 

長い山道を抜けて大きな道と合流したときの安堵感は忘れられない。山上に着いてみると仏教施設以外にも数多くの商店や民家があって驚いた。高野山高野町というひとつの町でもある。

 

高野山の聖地としての側面がもっとも感じられるのはなんといっても奥の院だ。長い参道と横に並ぶ墓石。伊達、毛利、真田などの戦国武将の名前が標された石碑の数々がこの地の歴史の深さを伝える。最奥部の御廟橋を超えるとそこはもう霊域で、御廟のなかでは今でも空海が生きていると信じられている。

 

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四国八十八箇所のお遍路も最後は奥の院の御廟にお礼参りをする。いつかお遍路したい。

 

そんな高野山には参詣者用に宿坊という宿泊施設が整備されている。一般の人でも利用することができ、私もお世話になった。冒頭のタオルはそこで入手したというわけだ。

 

宿坊に入って荷をおろし町をひととおり歩いたあと、近くの居酒屋で夕食をとった。聖地にも居酒屋はある。席の横では頭を丸めたお坊さんたちが酒やタバコを楽しんでいて不思議な空間だった。

 

宿坊に帰って一日の達成を振り返りながら部屋で飲んだビールは最高に美味かった。