聖地巡礼。
このワードで思いつくものは人それぞれでしょう。
どうも、聖地とは程遠いアパート(隣の住民が夜メチャクチャ咳き込んでるのが聞こえ不安になるほどに壁が激薄)に住んでいる島鉄です。
聖地巡礼といえばやはり思い浮かぶのは宗教。
世界遺産に認定されている美しき巡礼路サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
ムスリムであれば一生に一度は訪れるというメッカへの巡礼、ハッジ。
日本にも弘法大師空海にゆかりのある寺院を巡る四国八十八か所がありますね。
それだけでなく、好きな映画のロケ地巡りやアニメの舞台となった地域を旅する……そんな聖地巡礼もありますよね。
長々と、前置きしましたが……。
要するに、「アニメ・サブカル的な意味での聖地である秋葉原・神田エリア」で「宗教的な意味での聖地巡礼をかましてやろーではないかい!」
というのが今回の記事の主眼です。ダブルミーニングで聖地巡礼。なんとユーモアあふれる企画なのでしょう。
こんなしょーもない企画のわりに緊急事態宣言&コロナ禍の情勢のため3月から7月まで時間をかけていました(そもそも出不精だからかもしれません)。
夏休みの宿題といっしょで時間をかければいいものができるとは限りません。
盛大に予防線を張ったところで、聖地巡礼、しましょうか。
①神田明神
神田・御茶ノ水・秋葉原。このエリアは神田川が流れ、地形的な起伏もさることながらエリアによって街の雰囲気がガラッと変わるのも面白いところです。
聖地めぐり、なんて大それたタイトルにしたのには理由があります。
それは……神田明神があるからです!!
土地柄、秋葉原に近いこともありアニメ作品とのコラボポスターが貼られたりすることで、知っている方は全国いるのではないでしょうか。
私も親に一度だけ連れてきてもらった記憶があるのですが、それ以上にラブライブファンの先輩とお参りに来たほうが思い出に残っています。
そんな時代と場所柄の影響を強く感じる神田明神ですが、元々は
天平二年の創建と伝えられ、今の大手町にあった。平将門公の首塚が百歩の地にあり、延慶二年に将門公の霊を相殿に祀り、神田明神と名付けられる。元和二年現在地へ遷座し、江戸城の艮鬼門の守護神として歴代将軍の尊崇厚く江戸総鎮守となる。
という御由緒があり、鬼門から江戸を守る役割が与えられていたのですね。
平将門が祀られているのには意味がある。
ちなみに今回は特にアニメイベントも何もない普通の日に訪れました。イベント時や初詣の賑わいが嘘のように静か(もちろん参拝客は絶えることなくいますが)です。都心のオアシス。
神田明神といえば有名な結婚式場、そしてもう一つピカピカのリニューアルされた社殿が目立ちます。
なかには東京土産や神社らしく神棚・神具も売られています。
創建1300年を記念して改修されただけあり、お上りさんのように思わず境内をキョロキョロ見渡してしまいます。場違い感がすごいよう。
あ、ピカピカのEDOCCOのすみっこになんかいる。
獅子舞ロボがおみくじを引いてくれるというトラディショナルとテクノロジーが合わさったTOKYOらしいマシーンです。
え?フツーのおみくじでいい?
獅子舞、めでたくていいじゃありませんか。日本の産業用ロボットの世界シェアは高いですし、テクノロジー面も海外の方にアピールできる優れもの。
そう!誰がなんと言おうと!
このマシーンは古来の伝統と最新の技術が調和した素晴らしい獅子舞占いなのです。
……ついていけてますか?
一旦、この舞を見て心を落ち着けてください。
ヒュッ、ガッ、ポイの3拍子でお獅子が運勢を占ってくれました。ありがたいことです。
結構嬉しいですよね、金銭のやり取りがなされているとはいえ、自分の運命を占うためだけに舞ってくれているのですから。
なかなかないですよ、こんなこと。小学生以来だなあ、獅子舞が踊ってる姿を見るの。
いやあ盆と正月が一緒に来たようです。
……小吉でした。なんか、記事的には大吉か凶がありがたかったんですけど、なんともコメントに困る感じですね。
ちょっとはマシな人生が送れるってことなのでしょうか。
ちなみに凶が出た人が台パンしたのか、何個かボタンが破壊されていました。おみくじ引いといてキレる人がいるとしたら嫌すぎる。
あと今さらじっくり参拝して気づいたのですが、神田明神は天水桶の展示(?)が充実してます。
オール水桶
秋葉原、でピンときた方もいるかもしれませんが秋葉信仰と言えば火難を避ける、防火の神様です。
台地上にある神田明神からは江戸の代名詞ともいえる火事もよく見えたことでしょう。火難に備えて天水桶を奉納する……説明文を読むと神田明神が将軍家だけでなく多くの人々から尊崇を集めていたことが伝わってきます。
個人的には本殿横の鉄製天水桶の説明文から鋳物の街川口は江戸時代からの伝統だったんだな、とニヤリとさせられました。
あと、江戸時代の庶民のブーム、力石も境内にありますよ!
私はどーがんばっても持ち上げるどころか動かせもしないです……。これってもう若者じゃないからですか?!?
さて神田の聖地、と聞いて十中八九思い浮かべる神田明神という代表格から紹介してしまったわけですが、まだこの辺には聖地があります。
②湯島聖堂
神田明神から御茶ノ水側に歩くと見えるのが湯島聖堂です。中央線の再開発で騒がしい近辺ですが、この湯島聖堂だけは静謐な空気で包まれています。
最初に訪れた際は新型コロナの影響で16時に締まってしまいました。私は何も知らずノコノコ15時50分くらいに来たので当然入れず。
大体、感染リスクを考えれば1日1聖地、1時間以内の滞在くらいにした方がよさそうです。
そもそも不要不急の外出をするな、と言われてますしね。
練塀と屋根上のしゃちほこのような鬼犾頭(きぎんとう)と虎のような鬼龍子(きりゅうし)が特徴的な湯島聖堂。神田明神と比べてちょっと異国感がします。
なかは広く、建物だけでなく緑も生い茂っているので公園のようです。正直、神田明神より”杜”感があります。
たしか日本一大きい孔子像があるんですよね。ちなみに島鉄の湯島聖堂に対する知識は、前述の孔子像とウルトラマンガイアのロケ地(ミズノエノリュウ登場回)だった、以上のみとなっております。知識量が無さすぎる。
湯島聖堂(←ロケ地を教えてくれる親切なブログ)
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
(中略)
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
関東大震災で一度全て失われてしまっていたとは……。
昭和初期の鉄筋コンクリート造といえば、1931(昭和6)年に再建された大阪城が有名ですけど、湯島聖堂も都心に残る鉄筋コンクリート建築物なんですね。
孔子像、林家というワードから分かる通り、ここ湯島聖堂は「儒教」の聖地と言えます。昌平坂学問所は東京大学の前身でもありますから、「学問」の聖地ともいえましょう。
この日は16時前に来たので中に入れました。聖橋から階段を下ります。
意外と参拝客がちらほら。都心では珍しい緑と静けさから公園代わりに来る人も多いのでしょうね。静謐な空間であることはともかく、この居心地の良さはとても江戸時代は官立学校だったとは思えませんね。
個人的に驚いたのは絵馬があること。え!神社じゃないのに?!と不思議に思いましたが、中華街の関羽廟とは異なり、江戸幕府によって儒学の学問書を置いた経緯もあり合格祈願の聖地となっているようです。
そして地味ですが天水桶に葵の紋が確認できます。ふふふ。
丸い窓に漆黒の柱……東洋文化を感じさせる造形です。
御茶ノ水で働く人たちは、ここにリフレッシュするため訪れるのかもしれませんね。
さて、湯島聖堂の嬉しい(?)ところといえば外観のみならず本堂(大成殿)の内部撮影OKなところ。
儒教の聖堂としてだけではなく、学問の場でもあったからでしょうか。儒教は宗教なのか?という問いはともかくとして、宗教施設で内部撮影可なのは珍しく思えます。
HPを拝見すると孔子祭や神農祭など行事も執り行っていることがわかります。
置かれているチラシを読むと、湯島聖堂は現在、公益財団法人斯文会が管理運営しているようで色々な文化講座(主に儒学)も開講しています。
現代に行きながら江戸時代の儒学者気分に浸れるのはいいかもしれません。単純に御茶ノ水で学生気分を味わいたいだけの私も気になってしまいました。
この斯文会の基となったのが岩倉具視と谷干城が東洋文化の交流を意図して結成した斯文学会だそうです。
新政府の公家では有名な岩倉具視と、西南戦争で西郷隆盛率いる不平士族から寡兵ながら熊本城を守った谷干城に関係があったとは……!
全く儒教と関係ないところで驚いてしまいました。え、あの二人全然接点ないと思ってたのに幼なじみなの?的なやつです。
聖像前の器の配置がよくわかります。神社・仏教各宗派と比較してみるのも面白そう
ウルトラマンガイアのロケ地という一点突破型の事前知識しかなかったのですが、湯島聖堂を満喫できました。
日(神田明神)→中(湯島聖堂)ときたらお次はやはりあの聖地しかないでしょう。
③ニコライ堂
こちらもコロナの影響で現在は中に入れないです。
それどころか敷地内や建物を商業目的での撮影禁止、と書かれており警戒されています。私の場合けして商用目的ではありませんが、少し撮影するのが躊躇われますね……。ちなみにハリストス、とはキリストの意味です。
通りすがったご家族がオーソドックスぽいなー、とつぶやかれておりました。正解です。
ここニコライ堂は日本正教の教会です。
オーソドックス、正教ってなに?
と思う方も多いでしょう。
正教が他宗教と別格扱いされている(ソ連時代の弾圧の歴史もあり、復権していますが国教ではありません)ロシアが地理的に近いにもかかわらず、日本に伝来したキリスト教の中でオーソドックスはマイナーな存在です。
www.orthodoxjapan.jp詳しい歴史や教義については公式HPに譲るとして、古代のキリスト教誕生より変わることなく、ローマ教皇を中心とするカトリックとも、それに対抗し聖書に重きをおいたプロテスタントとも違う、それがオーソドックス−正統派−です。
ビザンティン建築の代表格としてもニコライ堂は有名ですが、なんとなくドームなどからイスラームのマスジド(モスク)を思わせます。
ビザンティン建築の代表格であるハギア・ソフィアはトルコにあり、マスジドとして現在使われていることから、イスラーム建築と似て見えるのでしょうか……。
他ではイタリアのサン・マルコ聖堂もビザンティン建築ですね。
ビザンティン建築は東ローマ帝国(現代のトルコにあった首都コンスタンティノープル=イスタンブールは有名ですよね)の様式ですから、そのことからも正教がロシアをはじめ東欧諸国で信仰されているのだと分かりますね。
正教会の特徴としてこのイコンも有名です。偶像崇拝禁止、がキリスト教の特徴ではありますが、正教会ではイエスキリストや天使、聖人の姿を象ったイコンは崇敬の対象となっています。もちろんイコンそのものを崇拝しているのではなく、イコンを通じて神を崇敬しているのだ、という理屈です。
イコンは偶像崇拝か否か、は歴史的に問題となったこともあります。
街の守護天使やイコン、マリア像……これらの存在と偶像崇拝禁止・一神教。
一見矛盾しているように思え、キリスト教の理解が難しい点でもありますが、ここは深く考えずそれぞれの宗教で育まれた特徴的な文化として見ることにしましょう。
ちなみにこの写真にある生神女とはマリアのことを指します。聖母マリアの庇護について描かれたイコンなのでしょう。
コロナ禍ゆえに内部の見学ができないのは口惜しいですが、この苦難を乗り越えた先によき未来が待っていると信じて、待ちましょう。
ちなみにニコライ堂の近くでは学生街の顔をもつ御茶ノ水として、大学キャンパス含め再開発の真っ最中でした。駅もそうですが都市はすぐに変化していきます。昔と変わらない姿を見せてくれる聖地って貴重かも。
個人的には信徒向けのニコライ堂の案内がキリル文字で書かれていたことにニヤリ。
ロシア出身の教徒さんも来られるのかな。戦前を代表するロシア生まれの大投手スタルヒンも最初の奥さんとはニコライ堂で知り合ったそうですし。
さーて、もう神田・御茶ノ水エリアの聖地(とゆーか有名観光地)は制覇しました。
が!しかし、実はまだまだ聖地が隠されているんです!!
ここからは知名度がガクンと下がりそう(失礼)ですがどんどんいきます!
④神田寺&聖公会
御茶ノ水もなんだかんだ楽器の街としてサブカル臭はしますが、坂を下り万世橋方面にむかうとさらにサブカル色が濃くなります。多くのちびっこを魅了し鉄っちゃんを輩出(言いすぎ?)した元交通博物館もお洒落なスポットになり、ややサブカル色が薄まりましたが、昌平橋をすぎれば何のその。
まぎれもなく日本のサブカルの聖地は、ここ秋葉原であるといってよいでしょう!
個人的には中野ブロードウェイも好きですけど。非日常感はやっぱり秋葉原のほうが強いですね。
そんなメイドがひっきりなしに客引きする(アキバってこんな街でしたっけ?)ストリートにも聖なるものは隠れています。
浄土宗のお寺です。都心の寺院はひっそりとあるんですね。あと幼稚園経営しがち。
それだけでなく、ニコライ堂の正教会に続いてキリスト教のあの宗派の教会がありました。
ニコライ堂は有名ですからともかくとして、まさかメジャーなカトリックでも日本基督教団(プロテスタント)でもなく聖公会の教会に出会えるとは思ってもみませんでした。
日本聖公会はいわゆるカンタベリー大主教を中心とするイギリス国教会の流れに属しています。イギリス国教会はローマ・カトリックではなく、プロテスタントとも少し違う、両者の要素を含む独自な立ち位置を守っています。
いやあ、ホントいろんな宗教施設が街にはあるんですねえ。
行きつけの喫茶店が近くにあるのでコーヒーを飲みつつ感慨にふけっていました。
この日はメイドさんの誘い(「ご通行中のご主人様~」という主人の概念がよくわからなくなる呼び込みをしていました)を必死によけ、駅まで逃げるように歩き帰路に着きました。
そして、驚きなのですが……。
……まだ、神田聖地巡りは終わっていないのです。
⑤マスジドNusantara
まあ、ほとんどの人は接点がないと思います。私も、コンビニでブルカを被った女性に鮭おにぎりがハラル*2
に触れないか質問された経験くらいしか接点はありません。
ひっそりと街中の雑居ビルのテナントにマスジド(モスク)ができているとゆー噂はかねがね聞いていました。でもまさか、こんな近くにあったなんて。
せっかくなので見てみる(もちろん礼拝中に突撃はしませんが)ことにしました。
ビルの向かいのラーメン屋さんにはハラルマークが。やはりここにマスジドがあるのは間違いありません。
ちなみにハラル認証は複数あり統一的な基準ではありません。食肉輸出のためにムスリム人口はそう多くない地域でもハラル認証を積極的に行っている例もあるそうです。面白いですね。
どうやら5階にあるみたいです。外観からは全然分かりません。
前述のトルコにあるハギア・ソフィアのような、ドームに尖塔(ミナレット)、というザ・イスラーム建築な建物と同じマスジドとは思えませんね。
占い屋の主張がわりと大きいです。B1のロンドベルは好きな人は一目でわかる通り、ガンダムの部隊から名前をとった「アニソンカラオケ カフェ・バー」です。コロナ禍で大変そう……。
年季の入ったエレベーターには乗らず階段で5階まで上がってみました。
……たしかにマスジドはありました。
が……当然中には入れず。様子もうかがえず。
このまま何の収穫もないというわけには、と思いこのビルでも結構なテナントを占めるDOLK東京さんにお邪魔しました。
色とりどりのウィッグに、小さな愛らしいドール用の服、小物……素敵な空間です。
内部の写真撮影も許可をいただけたのでご紹介。お店の方に伺ったところ、かれこれここで10年は営業されているようです。
ちなみにマスジドは3年前くらいにテナントに入ったそう。
「ムスリムの方も来店されますか?」と聞いてみましたが、「向こうは信仰の場で世界が違うので、なかなかお会いしませんね……」と当たり前な回答をいただきました。
イスラームというと体をすっぽり覆うブルカ・ヒジャブ(ヴェール)スタイルを連想される方も多いかもしれませんが、実は国によって多種多様。
お洒落な着こなしを考えている女性もいるのです。
ドール用のヒジャブ、売れないかな……?
上記の記事でインドネシアのムスリム*3が取り上げられていますが、実はイスラームを信仰する人の数自体は中東より東南アジアのほうが多いです。
そう考えるとイスラームのイメージが少し身近に思えてきませんか?
日本でも近くの雑居ビルにマスジドができ、ハラルマークを見かけることも多くなるでしょうが、イスラームのイメージが変わっていくといいな~、なんて思いました。
それはそうとして、せっかくDOLK東京にきたのでポイントカードを作りました。絵柄は選べるようなので真紅をチョイス。
ローゼンメイデン……もはや懐かしさを感じますね。ローゼンメイデン0は終わってしまいましたが、結局真紅は眠ったままなのでしょーか。
閑話休題。
DOLK東京本店は年末年始以外年中無休で絶賛営業中!秋葉原駅前のラジオ会館にも出店しています!(勝手に宣伝)
だいぶ前にポンバシで作ったVOLKS*4のポイントカードは有効期限1年でしたが、ここのは有効期限ナシです。ライトユーザーにも優しいですね。
DOLK東京本店はドール界の聖地といえましょう。
……えーと、何の話をしてたんでしたっけ?
マスジドがアキバにある、とゆー話ですね。
ちなみにマスジドは礼拝の場ではありますが、聖域や聖職者がある・いるわけではありませんので、神田明神など神社やニコライ堂をはじめとする教会とは位置づけがやや異なることを最後に触れておきます。
※もっとイスラーム建築らしいマスジドが見たい!という方には代々木の東京ジャーミイ、関西の方なら歴史ある神戸マスジドがおすすめです。
⑥柳森神社
ついに神田聖地巡りも最後のスポットとなりました。
マスジドで締めようかとも思ったのですが、すぐ近くにあるではないですか、柳森神社。
神社は神田明神で紹介したのでは?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、こちらはアニメ化もされたゲーム『シュタインズ・ゲート』にでてくる神社なのです。
さいごにご紹介する聖地は、そーゆー意味での聖地ですね。
TVアニメ『STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)』公式サイト
この可愛らしい男の娘、漆原ルカくん*5がいる柳林神社のモデルとなったのが、ここ柳森神社です。
詳しくはファンの人がすでに何個もブログ記事をアップされているのでそちらを見たほうが早いかもしれませんが……。
鳥居をくぐってすぐ目に入るのは富士塚の跡。千駄ヶ谷の近くにある鳩森八幡神社の富士塚は登ったことがあります。山頂からの眺めも良く、都市と不釣り合いな火山岩がたくさん集まって富士山に見たてられているのが面白いんですよね。
残念ながらこの柳森神社では富士塚の原型はないですが、江戸時代に流行った富士講の歴史を現代に伝えてくれています。
さらに手水舎を挟んであるのが神田明神にもあった力石。
柳森神社の境内は広くないですが、江戸時代の雰囲気がギュギュっと凝縮されているようでなかなかよいです。
そもそも、この柳森神社は徳川家康以前の江戸城を作った室町時代の武将、太田道灌によって鬼門除けとして京都伏見稲荷神社を勧請して建てられました。
神田明神が徳川将軍家による江戸守護の神社だとすると先輩にあたるといっていいかもしれませんね。
そのため本殿横には可愛らしいお狐様がいらっしゃいます。
さらに境内のいたるところにタヌキ像が。
この背景には5代将軍徳川綱吉の母である桂昌院が創建した福寿神祠が移転して柳森神社の境内社(本殿とは別の神様を祀る社殿)となったことが関係しています。
桂昌院は身分の低い出ながら側室となり、いわゆる「玉の輿」の語源ともなったと伝えられる人物です。このことから「他を抜く」タヌキ像を境内で見かけるのですね。
狐だけでなく狸もいる。力石に富士塚……。小さな境内にこれでもかと詰まってます。
ちなみに境内社も多く、富士講由来か浅間神社(富士山の祭神浅間大神と同一視される木之花咲耶姫命が祀られています)、神田川沿いの水運の関係か厳島大明神に金毘羅宮もあります。
そして秋葉原らしく(?)秋葉大神も祀られていました。
コロナ禍が収まることをただただ祈り、大満足で帰宅しました。
いやー、シュタインズ・ゲートの聖地というだけで立ち寄ってしまいましたが、それだけでなく柳森神社は魅力に溢れてますね!
参拝客も一人帰って一人入る、といった様子で途絶えることなく(でも密集しないのがいいところ)、神田川のほとりでこの街の歴史をこれからもずっと眺めてほしいな、なんて思いました。
社殿がコンクリートでなく木造というのも風情があっていいですね(川沿いだからでしょーか)。御朱印がセルフ方式とおおらかなのもよいところ。
混み込みしたアキバに疲れたとき、柳森神社に立ち寄ってみるとホッと一息つけそうです。
まとめ
前半は神田・御茶ノ水エリアでも有名なところを巡りましたが、後半訪れた秋葉原-都心部-にも多様な宗教施設(聖地と呼ぶかどうかはともかく)の存在があると分かって結構面白かったです。
御茶ノ水には仕事(学校)で、楽器買いに……とか
秋葉原にはグッズを買いに、PCのパーツ漁りで……とか
主目的の違う人たちがいっぱいいる中で、都市の憩いの場としてこれらの聖地はこれからも街を見守り続けるのでしょうか。
もちろん、信仰の場として利用されている方もいますので単なる公園とは違いますが……。
そして気づいたらなんか文字数が1万文字になってました。
前後編に分けると後編があまりにマイナーになるので(かといって時系列を無視すると、場所があっちゃこっちゃいって嫌なのでこうしました。反省してます)、強引にまとめてしまいました。
かなりゴーイン。コロナ禍でゴーイング、聖地巡りそれって正義?
みんな自粛してるのに萎縮せずに街歩き、これはマジ悪意?やめた方がいい埋物探し?
なんか韻踏めそうと思って無駄に文字数を増やしてしまいました。誠にすいまめん。
ふざけたライムはともかく、実際街歩きの記事を書くことは、コロナ禍では難しいと考えています。
しばしの間いそのくんのように、「過去編」をあげたり、駄文をつづったりしますが埋物の庭をこれからもよろしくおねがいします。
あ、そういえば年初にひと月1.5回記事載せる宣言してたな……。今月あと0.5回書かなきゃですね。がんばります。
それと……みなさん体調にはくれぐれもご注意を……。ばいちゃ。
(島鉄)