埋物の庭

埋物の庭

街中にあるつい見落とされがちで埋もれてしまっているもの(=埋物、まいぶつ)を紹介します。

いまふたたびの奈良旅~山の辺の道・前編~

そうだ京都行こう。

 

みなさん、こんばんはろー*1

島鉄です。

諸事情で怒涛の「わたてん」記事投下を行っている関係上、「そろそろ街歩き記事を書きたいなあ……」と思ってパソコンをカタカタしてました。

 

関西系は小説で書けばいい、と言ってたかもしれませんが忘れてください。

私が愚かでした。

 

冒頭でかでかと書いたキャッチコピーは耳馴染みがあると思います。

京都、世界的に見ても人気観光スポットですよね。

そんな京都から約45分で行ける古都、奈良は地味め……。


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大阪からも奈良は近いのですが、そのせいか宿泊施設の客室数ランキングでは、奈良県は全国堂々のワースト2位。

graphtochart.com

と、鳥取県に負けてる……。

 

ですが、奈良は京都とは違った魅力あふれる部分もあります!

奈良で最も有名な観光スポット、東大寺周辺でもバスは京都より空いてますし、公園は広くて混雑感なし。少し歩くと風情のある黄色い壁や町家の並ぶ高畑をのんびり散策できます。

nara.jr-central.co.jp

そんな魅力あふれる奈良のどこら辺に行ったかと言いますと……。

 

大和朝倉です。

 ……どこそれ?

 

そう言われそうなところへ行きました。

奈良市から離れた南部の桜井市、の右横の赤丸が大和朝倉駅です。

※Open Street Map財団より(https://www.openstreetmap.org/copyright)

 

ちょうど緑色の山のふもと近く、盆の縁のような場所です。

なぜここへ??

何を隠そう、ここは古代ロマンあふれる「山の辺の道」の始まりにして、『万葉集』にも詠まれた古代の交易場所「海石榴市」のあった歴史ある地なのです。

 

思えば、島鉄が大学時代に院生の先輩から「古代の民間信仰を調べるには万葉集から読み解くのがオススメ、海石榴市とかどうでしょう」というありがたいアドバイスを聞いたのが、この地を知ったきっかけでした。

このアドバイスを受けてから幾星霜*2……ようやく赴くことができました。

山の辺の道(天理~桜井)|歩く・なら~歩く楽しさが見つかる!奈良県のウォーキングポータルサイト!!~

 

 

 

大和朝倉駅前・川へと至る道

 

のどか、を絵にかいたような朝の大和朝倉

休日の朝9時。まだそれほど人もいない時間帯です。

駅の背後にある丘陵地帯、朝倉台が住宅街になっているようです。


駅前を走りながら「二手に分かれてどちらが早くつくか競争しよう」などと話す体育着の子どもたちが微笑ましい。

橋で川の写真を撮っていると律儀に「こんにちは~」と挨拶してくれました。
いい子たちです。それでこそ明るい三輪っ子*3

 

ジョギングやランニングをする人もちらほら。

太陽光パネル&キリ看feat空の広さを知る畑

歩いていると、のどかな風景がさらに広がっています。

訪問当時はハロウィン直後で、おばけかぼちゃの無人販売もありました。

 

野焼きの煙も見えます。うーん、爽やかな休日だなあ。

 

公衆電話にしては小(しょう)だな……と近づいてみると、高齢者施設のインターホンでした。

なるほど坂の上にある施設だと、こういったモノが設置されているのですね。

 

やはり山が近い。山の辺の道を歩いている実感がわきます。

 

と言いつつ、島鉄はほぼ起伏のない道をのんびり歩いていました。

山が近いけれど、山の辺の道自体はそれほどアップダウンないですね。

◇柳生街道 - 柳生観光協会のページ!

同じ奈良の著名なハイキングコースでも柳生街道なんかは歩くの大変そう。

 

なんて思いながら、脇道へそれると初瀬川にぶつかりました。川と並行して歩いていたのかぁ。

川を眺めてぼんやり休憩していると……。

え、なにこれ

すごいものが川のほとりに立っていました。

「仏教伝来の地」の碑です。

ここ初瀬川のほとりには大陸から難波津へ入り、さらに川をさかのぼって到着する船着き場があったとされ、『日本書紀』の著述*4にもこの地に百済からの使節があった、と記されています。

 

仏教の伝来がいつなのかは学界でも未だに確定していませんが、少なくともこの地で大陸との交流があったことは分かります。

 

そんな古代ロマンを感じた島鉄に、お導きが……。

東海自然歩道のウォークルートです。

ここ山の辺の道は前述のとおり、自然豊かで急なアップダウンもないため老若男女誰もが親しむウォーキングコースなんですね。

 

すぐ近くの地図を見ると「海石榴市観音」の文字が。

なるほど、ここにいけば学生時代にアドバイスをもらった海石榴市の句碑があるに違いありません。

 

よーし、歩くぞ~。

座ろうかと思ったけどやめました

出発前に気になったこと。

ベンチが軒並みひび割れていました。座るのに勇気がいります。

ざらしだとなかなか厳しいものがあるよね、青いベンチ

 

海石榴市観音

あとちょっと歩けば、海石榴市

思ったよりも近くに海石榴市観音があるみたいです。

海に石榴に市、で「つばいち」と読むんですね。初見では読めない。

 

民家の並ぶ隙間の道を歩いていくと……。

着いたー!海石榴市の碑です。
案内板によって説明書きが一部読みづらいというまさかの仕様。

この先にお目当ての海石榴市観音を祀るお堂があるようです。

句碑と海石榴市観音は別だったのかぁ。

 

ホントにこっちでいいのかな?という細い路地を通り抜け、歩くこと数分。


あ、ありました!

ここ海石榴市は聞いた通り、古くから交易の地として栄えた場所なのでした。
仏教伝来碑の近くにも大陸との交流を示す記述がありましたが、人が集まり歌を詠む中心地であったと偲ばれます。

 

詠まれた歌を見ると、かつてここが人のにぎわう市であった情景が浮かびませんか?

 

小さなお堂ですが、最近できたというのと、整備が行き届いているからなのでしょう。
綺麗です。


屋根付き休憩所にトイレもあり、山の辺の道散策時のオアシスといってもよいでしょう。

すぐ近くに民家があるのできっとこの集落の人たちが大切に守ってきたのではないでしょうか。温かみを感じます。

 

ここから少し歩くと金屋の石仏や素麺でも有名な大神神社があります。
社殿に一礼して再び山の辺の道へ戻ります。


どーでもいいですが、観音堂の鐘の音が驚くほど響かなくて何度も叩いてしまいました。

……ごめんなさい。ゴーン、とかカーンって音がしなくてもいいんですよね。

つい気になって……。

 

金屋の石仏

さて、島鉄と志を同じくする(?)山の辺ウォーカーの方々がちらほら見える中、次は金屋の石仏を目指します。

yamatoji.nara-kankou.or.jp↑↑公式サイトなんですが、基本情報に載っている所在地表記がざっくりしていてすきです。あんまり寄りすぎると県のどのあたりか分からないし、難しいですね。

 

しかし……!途中で気になる看板が……!

大神神社末社八阪神社があるようです。知らなんだ……行かねば。

看板の下の三輪っ子大作戦も気になります。分別できる子よい子三輪っ子。

 

そこそこの坂(とゆーか山?)道を登り、階段の先には集会所のような建屋があり、その奥に山と一体化したような拝殿がありました。さすが山の辺の道。

花街である祇園に近い京都の八坂神社とは漢字だけでなく、趣が異なりますね。

こちらの八阪神社里山の中で、ひっそりと地元の農民から尊崇を集めているお社……な気がします。

祀られている神々はスサノオノミコト、そして左右にイワナガヒメオオヤマツミノカミです。由緒の書かれた札には農業の神としての側面がクローズアップされています。

 

京都の八坂神社もスサノオノミコトを中心として左右にクシナダヒメ、ヤハシラノミコガミが祀られていますが、農業よりも商売繁盛や学業のご利益について触れられており、こちらも山中の八阪神社と違いが見えて面白いです。

www.yasaka-jinja.or.jp

 

さて、寄り道はここまでにして金屋の石仏を見に行きましょう。

石仏……よりも美術館が気になる!

奈良の仏像と言えど、金屋の石仏は奈良時代天平様式)ではなく平安期から鎌倉期に造られたようです。

山の辺ウォーカーたちも続々やってくるのですが、遠巻きに見て少しすると去っていきました。

それもそのはず。石仏以上に目立つ美術館がここにはあるのです!

 

大阪の画家……と言えばこの人、佐伯祐三*5から渡仏し時代の寵児となった藤田嗣治ゴッホピカソ、と西洋近代美術のビッグネームが勢ぞろい。

 

この喜多美術館は、喜多才治郎氏の還暦を機に、コレクションを屋敷の一角で公開したのが始まりだとか。

ふーむ、そんな歴史があったのですね。

金屋の石仏の隣でやるぞ!というわけではなく、たまたま屋敷が石仏の隣にあっただけなのか。

 

金屋の石仏も後で調べてみると、元々はこの集落にあったわけではなく神仏分離でこの地へ運ばれたのだとか。しかもただの石ではなく石棺の板石を転用したという説もあり……なかなか面白い!

 

……のですが、この時は「あれ、美術館人いないな。石仏の写真撮ったっけ?ま、いいか」という限りなく興味の低い状態だったので来た道を引き返しました。

 

いまとなっては惜しいことをしました……。

奈良には地味かもしれませんが、こういうスポットが点在しています。それも魅力の一つですね。

 

ただ、先を急ぐのにもわけがあります。なぜなら、この先は山の辺の道屈指の観光スポットである、「大神神社」があるからです。

 

oomiwa.or.jp

本殿のない三輪山自体を拝む古式豊かな神社……。

「大和は国のまほろば」、そんなフレーズを感じさせる大神神社に行くぞ~!

 

奈良にはこういった目につくスポットもあるのです。

 

大神神社へと至る道

 

で、でかい! これは天理教の建物でした。

歩いていると、唐突に何だか見覚えのある大きな施設が。

これは天理教の施設でした。ハイキングコースとしての山の辺の道の終点は天理なので少しだけ感慨深い(?)です。

4年前(2022年現在)に雨の中、天理駅から歩いた記憶がよみがえります。

天理教本部のある天理市はこの写真の建物と同じくらい大きな詰所(宿)があり、なるほど天理教を信仰する同級生が夏休み泊まったのはここなのか……なんて思いながら歩いていました。

 

そんな天理教のドデカい施設ですが、これから向かう大神神社にも有名なドデカいものがあります。

それが大鳥居です。驚くなかれ道の真ん中にドーンとあります。

2014年撮影のため画質悪いです

これを見るためだけに8年前(2022年現在)に三輪まで行った思い出。

改めて奈良好きだな……と実感。

 

さらにテクテク歩くと、道の分かれ目に小さな可愛らしい神社があります。

ドデカいやつだけでなく、小さくて可愛いやつも目を引きますね。いわゆるちいかわ。

この神社は素戔嗚神社。先ほど立ち寄った八阪神社スサノオノミコト主祭神でした。

 

おや、この石は……。磐座??

そう古代祭祀においては神様の宿るものとして岩(石)を拝んでいました。

岩だけでなく山も拝む対象です。これから向かう大神神社三輪山自体を拝んでいます。

岩に座ると書いて磐座。素朴な信仰の跡がさりげなく道にぽつねんと存在している。

この「古い・素朴・田舎道」の要素が奈良の魅力かも。

 

大々的に取り上げられるわけでもなく、ただそこに昔からある埋もれた物。

ちょっとした歴史との出会いが山の辺の道にはあります。

 

とか思ってたら滅茶苦茶近代的な建物がデーンと構えていました。

新手の公民館か……?

 

近寄って分かったのですが、目的地の大神神社の施設でした。

三輪山会館だそうです。

そう、大神神社は鳥居だけでなく境内もアホみたいに広いのです!

 

というわけで、後半へ続きます。大神神社をじっくり見ていきます。

奈良はいいですよ……。

*1:来年流行るフレーズその2

*2:ってほどでもないですが

*3:三輪っ子という単語をこの日初めて知りました

*4:いわゆる552年仏教公伝説ですね

*5:大阪市出身。代表作は『郵便配達夫』、パリで客死されました