埋物の庭

埋物の庭

街中にあるつい見落とされがちで埋もれてしまっているもの(=埋物、まいぶつ)を紹介します。

水海道

茨城県常総市の水海道を訪れた。つくば市に来たついでに、川を見に自転車で向かってみたのだ。(遠い)

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小貝川の福岡堰。ダムとちがい流れ落ちる水を間近で見られる。興奮!

 

水海道は「すいかいどう」ではなく、「みつかいどう」と読む。変わった地名だとずっと思っていたけど、地名の由来について調べてみると二説あった。

①湛水(たんすい)しがちな低湿地にある集落説 

http://baba72885.exblog.jp/9194869/

坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた(水飼戸:ミツカヘト)説

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%B7%8F%E5%B8%82

①の説は他の水海道という地名の場所(結城市とか岐阜市)でも同じ環境だから説得力があるけど、ぼくは②の方が好きだ。名前の由来に歴史的人物でてくるかんじ、いいよね。(空海、太子、義経、家康…)

 

水海道駅周辺をぶらぶら歩いていると面白い名前のバス停があった。

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まったく偶然にも近くには常総線の踏切がある。写真奥に写っているのがおわかりだろうか。   

…ナイスすぎるバス停名ネーミング!率直なのがよい。

 

道路に水海道市(2006年からは常総市)のマンホールを見つけた。ウグイスかわいい。

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市の木のカシの枝の上に、市の鳥ウグイス、そしてバックには市の花サクラ。「I LOVE MITSUKAIDO」が実にいい味を出している。

 

つくば市への帰り道、小貝川に差し掛かるあたり、道路標識を見るとこうなっていた。

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小貝川が~~と流れている。のどかな記号だ。

 

小貝川と水海道と鬼怒川をめぐる想像以上の冒険ができた一日だった。

(いその)

 

丸の内支線と方南町

東京は山ノ手線の内側にいくことがある人は地下鉄丸ノ内線をご存じでしょう。

6両編成の若干小さな電車で銀座線の次に作られた古い地下鉄(……なんだけど外を走っている区間もアリ)です。

 

そんな丸ノ内線、さらに短い3両編成で中野坂上から支線が延びてることはご存じでしょうか?

これはまさしく地下鉄の中の埋物といえるのではなかろーか。(正確には埋線?いや地下鉄道なのだからして埋まってるのは当たり前か


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そんな丸ノ内支線の終点、方南町に行く機会があったので載せます。


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Mb03、の駅ナンバリングが暗いのは前までm03という駅ナンバリングが振られていたのを変更したからなんですね。

そんな方南町は立正佼正会のお膝元。期待して行った信濃町は案外フツーの(三色旗に目を瞑れば)町でしたし、方南町もフツーの町なんでしょうか?

 
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地下鉄の出口を出るとすぐにこんな情景。懐かしい感じのアーケード街です。ここほど短くはないですが、大阪の日本橋とかもこんな形のアーケードですよね。

うん、フツーの町だわ……。

 

写真にも写っている通り、京王バスがバンバン走っていまして感慨深かったです。

ここは京王線の縄張りだったか。

ふと東の方を見ればドコモタワー、なるほど京王電鉄の一大ターミナルである新宿も近いですしね。 

 

ふらふらと方南町中央通り商店街を歩いていると八百屋やら本屋やら懐かしい雰囲気の店が並んでいます。

ここは下町だったのか。

八百屋さんがCDをテントの軒先からぶら下げているのと商店街の電柱から尾崎豊の卒業がBGMとして流れているのがgoodです。

あと商店街唯一のコンビニはスリーエフ(埋コンビニといえよう)。

久しぶりに見ました。


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商店街を突っ切った先にお寺さんが。東運寺さん。

埋物いや埋仏ですね。

ここが東運寺となったのは入谷のお寺と合併したからで、元々は釜寺と呼ばれていたそう。なるほど、それで釜寺カフェなのね。

 

寺の起源を読むとなにやら安寿姫と厨子王丸伝説に関係しているそうで、山椒太夫に釜茹でにされそうだった厨子王丸の身代わりとなった身代わり地蔵(いわゆるひとつのScapegoat Jizou)を本尊として釜寺を建立したのが始まりだそう。


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 また釜寺というだけあって本堂の屋根に大釜が乗っかっています。

これは厨子王丸が釜茹でにされそうになったことから。現在乗っかってる釜は戦後すぐの本堂焼失後に信者が寄進したものだとか。

 

さて参拝しますかね。

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住職もこうおっしゃられてることですしね。

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この気持ち分かりますね。お墓に手を合わせるのも大切ですが、ご本尊もまた同じくらい大切です。

 

コンビニに入ってなにも買わずにチケット発券やら料金支払い、印刷だけするようなものです。……主に私です、すみません。

 


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そんな東運寺の境内から素晴らしい団地が見えたので行ってみました。

 

わ、すごいなこれ。

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そこそこの坂の途中に建っているのでした。

この坂の途中でイチャイチャしてる高校生カップルがいたので、彼らの邪魔をしないようにソォ~ッと団地の方へ向かいました。

 

ベンチがなぜか設置されてたので座ってボォ~ッとしてました。

この団地、正式には都営方南二丁目アパート10号棟と言いまして1974年から1975年頃に建設されたそうですね。

都営方南二丁目第2アパートというのもありまして、こちらは2000年建設のピカピカ団地です。

 

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good-bye団地。ここも歴史と共に埋没した建物ってことでいいですかね?(苦しい?)

 

東京一地味(?)な丸の内支線の終着点である方南町には素敵なお寺と団地がありました。


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島鉄

飯田橋に至る

飯田橋駅付近を歩いていて「ん?」と思った。下の写真を見ていただきたい。

f:id:haniwakai:20170611155953j:plain飯田橋     飯田橋

Iidabashi Iidabashi …!?なぜ同じ飯田橋の文字が??

 

このようなおもしろ表記になった理由は周囲を見渡すとわかった。

この道路標識は、飯田橋駅に至る目白通りの新隆慶橋東詰のあたりにある。写真は歩道から撮影したものだ。

道路を挟んで写真右に写っているのは首都高速池袋5号線。下には神田川が流れている。

実は首都高のさらに奥には、もう一つ道路が走っている。つまり、目白通りは首都高を真ん中にして二つの道路に分断されているのだ。

そうなるとこの表記の意味がわかる。この標識は、目白通りの二つの道路のどちらを進んでも飯田橋にたどり着くということを示すものなのである。実際、よく標識見るとUの記号で首都高が表されているではないか。

 

かくしてダブル飯田橋の謎は解けた。私は満足してやたら複雑な飯田橋駅前歩道橋を登っていった。(いその)

 

◇撮影場所

Google マップ

 

◇新隆慶橋 このサイトいい…

www.djq.jp