最近寒くなってきたので暖かくしてゆっくり小説を読んでいる。
小説を読むことは旅をすることと似ている。見たことのない風景を見て知らなかったことを知る。旅をする前とは世界の見え方が変わる。
Twitterの友人のしゆさんからアドベントカレンダーで読書感想文を書かないかと誘っていただき、初めて参加してみた。機会を与えていただきありがたい。
ということで街歩きブログで読書感想文を書いてみよう。
『雪沼とその周辺』(以下『雪沼』)は全7編から成る連作小説だ。
タイトルどおり雪沼とその周辺で暮らす人々を描いている。ある話で登場した人物や店がほかの話でも出てきて、読み進めると作品世界の広がりを感じられる。
気に入った描写を一つ引用したい。
ついさっきまではただの透明な一枚の板にすぎなかったガラス窓に室内灯が照り返って、視線を外に逃がしてくれない。相席している他の三人と通路のむこうのボックスの乗客の顔が、白い映像になって固いスクリーンに浮かんでいる。さっきなにかが飛んで行ったように見えたのは、反射光のいたずらだったのだろうか。いや、そんなはずはない。外はまだなんとか明るさを保っていたし、光にしては物の質感がありすぎた。おまけにあれは白ではなく、たしかに青っぽかった。慣れない老眼鏡の掛け替えをしているせいで眼に疲れがたまっているとはいえ、あれが見まちがいだったとはどうしても思えない。左の親指と人差し指で、香月さんは眉間のあたりをつよく押してみた。経理の洞口さんが教えてくれた眼のツボだ。
堀江敏幸『雪沼とその周辺』、新潮社、2007年、172ページ
外が暗くなって窓ガラスに室内灯が反射して視線が外に出られない、ここではそんな日常で目にするけれど意識して焦点を当てたことがなかった出来事が表現されている。小説を読んでいて楽しいのは、こういう描写にふれて世界の見え方が豊かになった瞬間だ。
この描写から本作の語りについて述べたい。香月さんは「緩斜面」の中心的な登場人物なのだが、『雪沼』ではこのように一貫して登場人物は「~さん」と呼ばれる。作者は物語世界の外から、人々の行動や思考を三人称で語っている。これにより文章を読んでいると雪沼とその周辺の日常を一歩引いたところから、カメラのレンズを通した映像を見ているような気分になる。
またここでは視線、明るさ、眼というように視覚の描写が細かくされているわけだが、『雪沼』ではこのように五感の描写が細かい。そして物語の主題と関わりながら描かれるのが特徴的で巧いと感じた。例えば聴覚については、「スタンス・ドット」でハイオクさんがボーリングを投げてピンをはじく音、「レンガを積む」で蓮音さんのレコード店の家具調ステレオから流れるレコードの音。味覚については、「イラクサの庭」の小留知先生のつくったイラクサのスープの味、「ピラニア」の安田さんの冷めても食べられる中華料理の味といったように。一つ一つの描写が登場人物の心情に深く根ざしていて作品に調和していた。
さて、連作を続けて読んでいて、その終わり方が予想できたものとそうでないものがあった。読んでからのお楽しみなのでどの作品かは書かないが、意外な後味のものがあったりして、何本か読むまで慣れなかった。振り返ってみると本作の多くは明るい話ではない。登場人物たちは年齢を重ねてなにかしら人生の課題を抱えている。天気でいうと曇り、音楽で言うとマイナーな響きといったところだろうか。しかし半分くらい読んでからはそうした味わいもいいのではないかと感じられるようになった。ビールのIPAを飲んでホップの苦みの余韻を美味しいと思えるように。
雪沼という印象に残る名前の沼が出てくるかはこれも書かないが(夏の雪沼が気になる)、風景の描写も、先ほど述べた感覚の描写と同じように丁寧だった。雪沼のゲレンデ、尾名川とそのまわりの河岸段丘、権現山の南の商店街。冒頭で書いた作品世界の広がりはそういった描写の積み重ねによるところも大きい。
というわけで読書感想文でした。
皆さんも本を読んで読書の旅に出かけてみましょう。
