いやー、『ゴールデンカムイ』連載終わりましたね。
ゴールデンと言えばGW中に展覧会行ったり、ビチョビチョになって”こうもん”撮影したりしてたな。
うん、これは記事にしよう。
雨の毛馬こうもん
大阪にまた行ってきました。
今年は京都文フリのあった1月、大阪公立大が生まれる前に大阪府立大学と市立大学を見に行った3月、と関西には2か月に1度行っている計算になりますね。
行き過ぎでは?と思われるでしょうが、意外と見どころがいっぱいあるんですね。
『さんぽ・まち・かんさい』で関西方面の散歩や観光地は紹介すればいいや……と思っていましたが、去るGWの大阪では割と酷い目に遭った(天気的な意味で)ので、記事にしました。
前置きが長くなりました。まず初めに行ってきたのはここです!!
毛馬こうもん(すしざんまいと同じ響き)!!
いや、ほんと出オチでしかないんですけど、名前がファニーだし閘門ってなかなか見られないし……ちゅーわけで雨の降りしきる中、川に向かった*1わけなのです。
間近で見るとかなり大きいです。
ちなみにこのときすでに島鉄の足はビチョビチョでした。あれ靴脱いだっけ?ってくらいには濡れてました。おそらく軽さだけで選んだランニングシューズの通気性のよさがそうさせたのでしょうね。
閘門の仕組みはとってもかんたん。水位の異なる河川を行きかうためにA川の水位とB川の水位を人為的に同じ位置にしてあげる、というものです。この場合、淀川と大川(旧淀川)ですね。
閘門=水のエレベーターと称する場合もあります。なるほど分かりやすいたとえです。
そのためそれまでの間、船はおとなしく停止線より後ろで待っていなくてはなりません。
ちなみに毛馬こうもんでは1.5~2m程度の水位差しかないのですが、この遊覧船が通るまで20分くらいはかかりました。
5分くらいして動画を撮り始めたのを後悔。もう足が濡れてぬれて……。
まあ、遊覧船のヒトからすると「なんであの人ずっとカメラむけて待ってんねやろ、こわ……」という心境でしたでしょうから、何も言えません。
今度は船の中から毛馬こうもんの水のエレベーターを体験したいな、と濡れ鼠の私は思いました。
ちなみに毛馬こうもんは歴史が古く、旧毛馬第一閘門および洗堰の一部が保存されています。
注意書きが怖すぎる。古いだけあって高確率で地震の際には倒壊するリスク大なのでしょう。
ここはかつて船が行き交った場所なのだ……と思うと不思議な気分です。蚊柱さえ目に入らなければ、レンガ造りのモダンで静謐な素敵なスポット。
写真の左右に写る鎖と高さの違う係船環。この場所がかつて閘門であったことを伝えています。
肝心の閘門の仕組み、全然わからないのが玉に瑕。
他にも大阪城建造の際に石垣に選ばれなかった残念石や淀川改修紀功碑があったり、淀川の歴史を学べるいいスポットです。
ぜひ、天気のいい日に淀川にお出かけしてみてはいかがでしょうか?
雨の日に行くやつはアホです。
毛馬と言えば、与謝蕪村の出生地でもあります。晴れた日に文学散歩をするのもよいでしょう。
なんか句碑が軒並みなぎ倒されているゾーンがありましたが、芭蕉の仕業でしょうか(濡れ衣)。
濡れた体のまま屋外から屋内へ行きたい……と考えた島鉄は中之島に新しくできた美術館へ行くことを決めました。
とっても綺麗な中之島美術館
雨の中バスを使ってたどり着いた大阪中之島美術館。ここは今年の春できたばかりのピカピカミュージアムなのです!
すぐ隣には大阪市立科学館と国立国際美術館があります。水都大阪を代表する中之島エリアに、また一つ文化的な場所が増えたのですね。
入口では巨大な猫がお出迎え。
作品名は『シップス・キャット(ミューズ)』。大航海時代の安全航海の守り神兼船乗りの癒し役である猫がモチーフです。
晴れの日であればゆっくり鑑賞したいところですが、濡れ鼠だったので館内に避難しました。
外観はポストモダンな黒い箱でしたが、館内も未来的です。シンプルで天井の高い広々とした空間。
中では「みんなのまち 大阪の肖像展」が開催されています。
構想40年の時を経て開館した大阪中之島美術館。
大阪の街の歴史が様々な展示品を通じて語られています。
各展示はエスカレーターを上り、入場するのですがワクワク感がありますね。
今も昔も二つの川(堂島川と土佐堀川)に挟まれ、橋の架かる中之島の姿は魅力的ですね。最近はなかなか船の行き交う姿は見られませんが。
大阪市立電気科学館(現在の市立科学館の元となった施設)のポスターもあります。
電気科学館の歴史はユニークで、大阪市の電気供給事業から宣伝塔として、また啓蒙施設としてつくられました。
電気科学館は、大阪市電気局が電気供給事業10周年の記念事業として計画した施設です。初期の建設計画案によると、館内設備は美容室、大衆浴場、大食堂、スケートリンクという内容で、電気利用のショールームとして考えられていました。その後、建物の建設と並行して、電気の原理と応用に関する展示物を陳列する展示場とプラネタリウムを設置することが決定され、1937(昭和12)年3月13日にオープンしました。
(中略)電気科学館の2階から5階までは「電気館」という名称の展示場で、電気知識の教育や電気応用の技術を紹介する装置が陳列されました。
開館時の施設は、2階はテレビ電話や真空管類などを陳列した弱電無電館、3階は発電所模型や電熱乾燥機模型などを置いた電力電熱館、4階は各種照明装置を展示した照明館、5階は電気の原理を解説する展示を置いた電気原理館という内容でした。
他の科学博物館で見られるような歴史的な展示は行なわず、電気の原理や応用技術といった科学の基本と最新知識の紹介に特化した未来志向の展示スタイルは、当時の日本では見られなかったもので、電気科学館が日本最初の科学館といわれるゆえんとなっています。
また、一度書籍で見たことのある作品が飾られており、オオッとなりました。
浪華写真俱楽部に在籍した小石清氏の『クラブ石鹸』の宣伝写真です。
1931(昭和6)年作ながら、いまにも通じるシンプルかつ目を引くデザイン。
☝この記事中で触れている西村智弘氏著『日本芸術写真史』に作品が載っていました。
展示を見終え上層階からエスカレーターを下ると、これはこれで違った見え方。
新しい美術館は中を見るだけでも楽しい*2ですね。
最後に『ジャイアント・トらやん』の写真でお別れです。
滅茶苦茶でかいです。隣のクレーンとダブって建造中のロボット感があります。
もちろんただのデカイロボではなく、廃墟からの復興、未来の象徴たる子供たちとその夢を守る存在として作られたのだそう。
ちなみにトらやんは黄色いアトムスーツに身を包んだキャラクターです。
てっきりメタリックなのかと……。不勉強ですいません。
『ジャイアント・トらやん』のコックピット(?)にもトらやんはいます。足元からだとよく分かりませんが、作品のすぐ横に階段が設置されているので、上ると分かります。
なるほど色んな角度から撮影できるのですね~。
ここらへんで力尽き(足もビチョビチョだし)、宿へと戻った島鉄でした。
ラストチャンス?大阪市立美術館
雨の多いGW前半。朝から雨が降っていたので、毛馬こうもんでビショビショになっていた島鉄は、今日は屋内を楽しもうと決心し長年スルーしていた大阪市立美術館へと足を運びました。
なぜならこの歴史の長い美術館は、もうそろそろ改修工事で入場できなくなるからです!
もうこれが最後とばかりに写真を撮りまくってしまいました。
まず外観もすてきなのですが……。
中がメチャクチャ豪華です……!こんなラグジュアリー空間にわずか1,000円で滞在してよいのでしょうか。コインロッカーの100円も戻ってきますし(←どーでもいい)。
公営なので安くできる、税金の無駄ではないかという意見もあるでしょうが、私はお金をそれほどかけずとも文化に触れられるのはよいことだと思います。
なので、皆さんてんしばでBBQや、天王寺動物園で同じところをぐるぐる回っているオオカミ(あれストレスでそーなってるんじゃないでしょーか)を見るのもよいですけど、長期閉館前に市立美術館を見に行った方がよいですよ!!
はい。特段金銭の授受をしてないのに宣伝しました。
GWにやっていた特別展は「華風到来~チャイニーズアートセレクション~」でした。
正直に申し上げますと、私は中国美術にまっったく興味がなく、全然よくわからんけど美術館が閉まる前に入っとこう、てなスタンスでした。
ポスターやHP上にも載っているこの中華風の女の子の絵が気になったので、それだけ見られればいーかな、なんて低いモチベーション。
が……!前述のとおり外観もさることながら内装のゴージャスさに圧倒され、モチベーションがめきめき上がっていきます。
うおおおおー!!景徳鎮*3の磁器!!!
青花蓮池玉壺春瓶、だそう。元朝時代のものなので染付(青花)がまさしく始まったばかりのものです。
ちなみにこれは島成園氏の『上海娘』という作品で、夫の転勤に伴い上海へ訪れた同氏が、現地の娘をモデルに描いたエキゾチックな雰囲気を湛えた絵です。
チーパオ(旗袍)は和服や漢・韓服と違った”騎馬民族の服“という印象で、エキゾチックに感じるのかも。
さらに中国といえば水墨画のイメージがありますよね。色々な水墨画が飾られています。写真は載せませんが、この他に拓本や工芸品、多くの書が展示されています。うーむ、大スケール。
そんな多くの展示品の中でもとりわけ心を打ったのがこの文と隠逸をテーマとする文人画です。
GW最終日だったこともあり、隠逸したいな……とゆー気持ちが増してしまいました。
隠居したくてもかなわないエリートの辛さ……は分からない*4ですが、隠逸したさだけは伝わってきます。
まあ、漁師は漁師で文人とは違う悩みを抱えていそうですが……。
中国と言えば、彫像も忘れてはなりません。
お寺で見るのとはまた違い、仏像を間近で裏も含めて見られるのが美術展示の良いところです。
この仏像の光背裏には中国古来の伝統図像である「巨大な太陽(内部に三ツ足のカラス)・月(内部にヒキガエル)・蛇をついばむ鳥」が彫られており、地域による仏教の受容をその目で確かめられます。
奥深いですね、チャイニーズアート。
さらに特別展のみならず、これまでの市立美術館の展覧ポスターやチケットの展示に、様々なコレクションも見られます。
こうしたコレクションを収蔵し、市民に触れる機会を与えてくれる美術館は貴重なのだな、と思わされますね。なにせコレクションできそうにないので。
また訪れる日はいつになることやら……。
さらば、大阪。
日本歴史民俗博物館の悔しい思い出
そんな大阪でのGWを満喫したのち、展覧会行かねばという思いが島鉄の胸に去来しました。毎度のこと少しでも気になったチラシはすべてもらってきて、いつのまにかほとんど会期終了している……なんて経験があります。
だからこそ!今持っているチラシの展覧会には必ず訪れるぞ!と部屋に貼り、忘れぬようカレンダーにも予定をセットしました(←あまりにも初歩的)。
しかし、残念なことに島鉄は時間にルーズです。それを知っているのでなるべく早めに行動しているのですが、最近失敗しました……。
それは『中世武士団展』が開催されている千葉県は佐倉市にある日本歴史民俗博物館に行こうとした日のことでした。
なんでまた、そんな展示をわざわざ見に行く気になったのかと言えばアニメ『平家物語』にドはまりしたのがきっかけです。
さすがに『平家物語』ロス、というほどではないですが、日本中世の武士について、より知りたくなりました。
と山田尚子監督が述べている通り、史実の「武家政権としての平家政権の隆盛」や「治承・寿永の乱(源平合戦)」を描くというよりは、琵琶法師によって現代に至るまで伝えられた物語をアニメ化した印象が強いです。
琵琶法師によって脚色され、儚さと美しさを伝える『平家物語』の良さを知ったので、その元ネタ*5を見に行ったのです。
ここは千葉だよ。
前述の日本歴史民俗博物館の最寄り駅は京成佐倉駅です。東京都からだと、まあまあ遠いのでありました。
それは分かっていたはずなのですが、遠いって言っても1時間くらいでしょ?
と舐め腐っていたため「予約した15時の10分前、博物館に着くくらいでいいだろう」なんてつもりで島鉄は家を出ました。
結果……!乗換駅を一つ間違え12分ほど無駄にした挙句、駅から15分の所をのんびり写真を撮りながら歩くという暴挙(←アホ)も合わさり、15時の10分前どころか15分後到着。
もっとも、再予約すれば入館できるとアナウンスがあったため余裕で受付へ向かう島鉄。中世武士団展がGWとはいえ、ここまで人気と予想していなかったのです。舐めてますね。
無情にも本日の予約枠は埋まっています、と宣告され(受付の人は申し訳ないですが、とおっしゃっていました。こちらこそ申し訳ないです……)、悔しいので今回の展覧会とは関係のない図録をじっくり見、買い物までしてしまいました。
一応、根来寺の根本大塔の模型などは見られましたが。こちらもじっくり見ました。悔しいので。
↑↑見られた展示……以上!!
私の鬱憤を晴らすため国立歴史民俗博物館に誘ったところ、ついてきてくれたいそのくんに感謝です。
さよなら三角、また来て四角。
(島鉄)