埋物の庭

埋物の庭

街中にあるつい見落とされがちで埋もれてしまっているもの(=埋物、まいぶつ)を紹介します。

あなたはまだ本当の中野を知らない

(執筆者からのお詫び)

この記事書いたの、なんと7月でした。しかも歩いたのは4月。われながらひどすぎます、ブログ読者の諸賢は真夏に無理して歩いたりしないでくださいね。

 

みなさん、おはこんばんちは。島鉄です。

 

中野って……いいですよね?!

 

特にブロードウェイのアングラで庶民的だけどラグジュアリー(ジュリー住んでたし)なカオス極まりない雰囲気とか

中野サンプラザとか

居酒屋が蝟集しているエリアとか……。

 

最高ですよね?

 

おもに成人独身男性しか惹かれない魅力かもしれませんが、

とかく中野は素晴らしい。

 

 

……って中野駅周辺のことしか語ってないわけですよ。

素人です。もうズブの、ズブズブのトーシロ(←トートロジー)です。

 

な・の・で!!

中野駅まで歩いてみました。スタート地点は1万PV記念の対談でも話した「立正佼成会の中心」であります。

my-butsu.hatenablog.com

ここも立派な中野……いや杉並?ここら辺は入り組んでいて油断するとすぐ区の境目を越えてしまうのです。

 

ナニワトモアレ、中野駅目指してマイナーな中野*1を発見していきましょうぞ!

 

さて、ここが立正佼成会のセンター街。

ここ方南町近辺はある種の聖地なのでした。
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おっと、そのまえに。

宗教施設だけでなく素敵な商店と神社があったことをご報告せねばなりません。
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うー、年季の入った中華料理店。すてき!

その横には歴史のありそうな神社が。


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ここは多田神社。歴史好きならピンとくるかもしれませんが、多田源氏の祖である源(多田)満仲を祀っています。満仲の子である頼光は伝説上では酒呑童子退治、歴史上では関東を束ねるべく武家貴族の代表として君臨していた平忠常の反乱を抑えた人物としてよく知られています。

この辺は佐原市にある日本歴史民俗博物館でも販売されていた、関 幸彦氏の『武士の誕生』に詳しいですね。

 

……いやホント佐原は遠いですけど、日本歴史民俗博物館は面白いんですってば。

 

閑話休題

アニメ『平家物語』や『中世武士団展』と日本中世ブームが来ていた島鉄にとっては多田神社は格好のスポットです。

お参りしませう。

 


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運営しているであろう幼稚園に笹竜胆(源氏の家紋。平家といえば揚羽蝶、みたいなもんですね)が。

なんとこの神社、裏手にはお寺があるのです。

 

なかなかいまは使わない(?)筆を供養する筆塚もあります。

針供養もいまやどのくらいの人がやっているのでしょう。

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島鉄は絶賛裁縫イヤイヤ期なので衣類用接着剤でムリヤリやりくりしています。

ボンド供養してあげないとなぁ。


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この子が饕餮(トウテツ)なのかなー?三脚の香炉。

お寺の出口ににでると、ちょうど坂のてっぺんでした。やはり寺社は高地に建てられるのですね。

 

トコトコ歩いていくと別の意味での聖地……地下鉄の車両基地がありました!

新型の銀座線と丸ノ内線が並んでいます。

赤坂見附駅でのホーム乗換を思い出しますね。全路線ホーム乗り換えにならないかな、楽だから。

www.itmedia.co.jp

なるほど、ここは第三軌条方式の2路線用の基地なんですね。

上に載せた記事中でサラッと冷暖房設備がゼロなことに触れられてますが、この季節に働いてる方は大丈夫なんでしょーか……。

 

地下を掘る都合からか、遺跡も見つかっているようです。


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江戸初期の上水道用の溜めマスです。

なかなか大きいですね。

そーいや、皇居竹橋近くにも石でできた上水用の樋が展示されていました。

江戸時代の石の加工技術がうかがえますね。

 

近世日本では石造りの家こそほとんどありませんが、分かりやすく派手なお城の石垣だけでなく、こういった生活に役立つモノが残っており後世まで伝わっていることは素敵だな。

なんて思いながら歩いていると、見えてきました。なんだ急に現れたこの建築物は……?!

 

この壮麗な建築物が、いわゆる立正佼成会の建物・施設なのですね。

 



島鉄のお気に入りは行学園。英語表記はGYOGAKUENなのが好きです。翻訳しないスタイル。学林は翻訳してるのに何故……?

 

商店街の看板を見るに、ここは立正佼成会門前町となっています。色々なお店がありますね。別段信徒でなくとも住みやすそうな街だなぁと思います。


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ただ、唐突に案内表示や交差点で「大聖堂」とか「お山」などが現れてビックリしますけど。

 

少し歩くと閑静な住宅街が広がっています。消火器(区のシンボルが表面に描かれている)や電柱を見ると、中野区と杉並区を行ったり来たりしてました。中野を知るには杉並も知らねばならぬのだなぁ。

なかなかいい雰囲気の並びです。目の醒めるような青いテントと床屋さん。ここらへんに住むのも悪くないかも……。

 

この古めかしい家屋……は何と能楽堂


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都内にある能楽堂のなかでも歴史があり、東京で自然光のなか能・狂言を鑑賞できる唯一の場所だそう。

ふーむ、そんな場所が中野へ至る道にあっただなんて……。アドレス的には杉並能楽堂ですが、元々文京区にあったものを移築した経緯があるそうなので、それならば中野の魅力に付け加えてもいいでしょう(←ゴーイン)。

文化を感じられる街、とゆーことで。

 

てくてく歩くと、また謎の施設が。

能楽堂パート2ではないハズ。


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横にあった説明書きを読むと庚申塔と地蔵塔を祀った「民間信仰石塔(そのまんまだなぁ……)」のお堂だそうです。

立正佼成会のど派手な建築物を見たあとだと、素朴な感があります。

しかし、この塔はここが和田村と呼ばれていた頃、村の人たちの悪病退散や村中安全の祈念から建立され、今でも信仰を集めているのですから、これはこれでひとつの聖地と呼べるでしょう。

 

そんな和田村のお堂の対面には素敵なカーブと大きなマンション。ギャップがすごい。


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この曲がった坂を歩くのが、なかなか楽しかったんですよ。この記事を書いている現在(7/1)は外気温35℃なので、なかなか行く気になれませんが……。

 

すてきなアーケードにでました。ここは鍋横商店街。

nabeyoko.comHPには古い鍋横通りの歴史的写真や商店会加盟のお店についてまとめられています。

 

なるほど。妙法寺までの参詣道として人が往来し、栄えたのですね。

うむむ……ここも聖地巡礼の場所だったとは。

 

他にも三国志なら「呉」推しの中華料理屋さんなど道中にて発見しました。

ここの住ポテンシャル高いな。しかしながら鍋横商店街は新中野駅の最寄とゆーことで、本来のルートから逸脱していることが発覚しました。

 

もっとお店をじっくり見てみたかったのですが、あきらめて中野駅へとルートを修正して向かいます。新中野にフラッと行くこと……あまりないですね。妙法寺詣でに行くなら鍋横寄るのはマスト、そう覚えておいてください。


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道中見つけた和菓子屋さん。人形焼ってそんなに人気でしたっけ?


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ほ、ホントーなんだろーか?

中野再開発の波は肌で感じていましたが、単身者の街――中野のイメージが強すぎて、殖産用の不動産会社が激推ししてるなんて思いもよりませんでした。


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ただ、昔と変わらないお手本のような看板建築のお米屋さんを見かけて一安心した島鉄でした。

 

角の自転車屋さんに街の年季とゆーか、歴史を感じます。

そろそろ中野駅に近づいてきました。この道をまっすぐ行けば駅前のマルイ、ガードをくぐればサンプラザ中野くんがお出迎えです。

岡村ちゃんのライブでサンプラザ中野まで行きました。はにわ通信で書こうかな)

 

途中、結婚相談所のよくわからない看板を見つけたので共有します。

Change!!したのに旦那殴ってるやん。矢印が逆なのかな??

だから、結婚は楽しい=殴るから楽しい

……ではないですよね?!

メッセージが謎な看板、VOWネタです。

 

道なりにテクテク歩いてようやく中野駅前に到着!いやー、1時間半くらいでしたが意外といろんな施設や歴史が中野(と杉並)の街中にあるもんだと気づかされましたね。

 

こうして京王バスの地図を見ると、それなりに歩いてきたよーな気がします。

鍋横を突き進むと西新宿にも出られるとは。

 

再開発の波が駅前を襲う中野の街で、昔と変わりない中野ブロードウェイ(これもまた聖地ですね)へと足を運ぶ島鉄でした。

サンモールはいつも混んでます*2ね~。

 

島鉄

 

*1:そもそも中野自体マイナーかもしれないですけど……

*2:写真の人たちの恰好から分かるように、この時はまだ春で連日の真夏日とは無縁でした

【小説】さんぽ・まち・かんさい――ウラ天王寺に朝がきた

どんなに推敲してもアホほど長くなってしまい、分割すると街歩きは?となる二重苦に頭を抱えていましたが、めんどくさくなったのでそのまま載せます。

文章力のある人って、きっと無駄な文を削るのがうまい人なんだと思います。

読んでくれている方に感謝です。

(↓前回の話)

my-butsu.hatenablog.com

(一話から)

【小説】さんぽ・まち・かんさい――松屋町にて - 埋物の庭

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「うげー、なんかわからんけどまっすぐ歩けてへん気ィするわ」

「ひゃひゃっ、めっちゃヨッパライやないですか、痛っ!なにこれジャンボサボテンの鉢多すぎるわこのマンション」

 

 ……地獄でなぜ悪い、と誰かが歌っていた気がするけど悪いよ、助けてよ。

あーあ、すべてが思い通りにならない。困ったさんが二人、そのお守りを一人でする。

これって新入部員のやることなのだろうか??いや自分は入部するとも言ってない。

ぼんやりと1次会の様子を思い出す。

 

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「あの、このサークルホントに入るんですか?」
「う……悩み中、かな」
あがり症で愛媛から上阪したばかりの千代ちゃんとは、なんだかんだ大阪なんもわからんという唯一の共通点から、すぐに打ち解けられた。

 

ただ、このサークルに入るかどうかは別問題だ。会長があれじゃ……。ちらり、と横を見ると会長は熱くK大愛について語っていた。

正直、会長と会って数時間なのに、あまりにインパクト大のため入部するか保留したい。

現に隣でK大校歌を熱唱して副会長にしばかれているし。

「私、このへんに知り合いおらんし、友達も学外でほぼ会わんし悩んでるんです」
そもそも友達らしい友達のいない自分は大丈夫なのか……。

「ボクも地元は奈良やし、小中高とずーっとおんなじとこ通ってん。せやから友達はまだおれへんよ。別に心配せんでもええと思うわ」
周はそう言って、ここのサークルで友達は作れるやろうし、と小さな声で付け加えた。

たしかにそうかもしれない。しかし、こんな変な会長に付き合って街を歩いてどうなるのか。
四年間を怠惰に過ごすだけではないか。それならばもっと青春を!学問を!極めた方がよいにちがいない。

脳裏に夕陽丘から見えた景色とあべのハルカスでの眼下に広がる大阪平野の風景が浮かぶ。
それなりに綺麗だった。
でも、サークルにわざわざ入らなくてもいいかもしれない。
周とは会う機会がこれからもあるわけだし。そのときに道案内してもらえばよいのだ。

無理して入って辞めにくくなるくらいなら、いっそのこと入部しないほうがいい。
申し訳ないけど、会長にそう言おう。

そんな提案をしたところ、周は眉を八の字にして(イヤ、世の中には本当に考えがはっきり表情に顕れる人種が実在するものなのだ)、言いにくいやろうからボクが会長に言うてくるわ、と残念そうな表情でポツリと呟いた。

「あの、会長、お楽しみのとこ悪いんですけど……」

「んー?なんや周クン、改まってェ。あれやろ、お会計の傾斜のことやろ。ここは大目に払うから心配せんでもええよ」

「い、いや入部の件でですね……。ちょっと席外してもろうてもよろしいですか?」

「ハ。かまへんよ」

副部長は一人うるさいのが減って安心したのか眉間のしわをグシグシと伸ばしている。


周が去り、残されたるは非関西人の二人。

「あ、鶴見さん(←面と向かって下の名前で呼べない男…)って学部はどこなの? 」

「私は文学部なんですけど……初等教育専修で、幼稚園教諭目指してます」

「へー。すごいねセンセイかあ。趣味とかある?」

「子供とふれあうのが好きなんで、学童クラブのボランティアしてます」

「へー!サークル以外も活動してるんだ。高校の時からそういうのやってるの?」

「あ、高校のときは生徒会と兼任で演劇部におったんですよ。演技はてんでダメで、衣装とか小道具なんかの裏方でしたけど」

……あれ?これインタビューになってない?ひょっとしてこれから撮影始まる??

千代ちゃんは、質問責めにされて気まずいのだろう、視線を逸らしそれにしても遅いですねぇ周さん、と初めて話題をこちらに振った。

 

たしかに。となりの席にいない。

「ひょっとしたら会長酔っ払って倒れてたりして」
「え!それマズいですよ!!気管に嘔吐物が詰まったら死にますよ!」
その通りだけどエグいな。

「たぶん大丈夫だよ。会長っぽい大きい声がこっちまで聞こえてくるし。ははは」
会長は行く先々でブラックリストいりしてるのでは、と不安になる。

「その、ずっと気になってたんだけど……どうして敬語なの?」
「あ……その、方言でると恥ずかしいけ、からです。はい」
「ぜんぜん!恥ずかしくないっ、と思う、けどなあ……」

尻すぼみに自信がなくなるのが自分の悪いところだ。

ただ、そのおかげで「方言可愛いじゃん」とか言って顰蹙を買わずに済んだのだからよかったのだ。そうに違いない。

 

 「ごめん、コーくん。会長に入部しない話したんやけど……。次の会合で一日体験してから決めてほしい、って言われてもーたわ」

周は申し訳なさそうに言うと、次の会合もボク出るし気持ち変わったら教えてな、今日は騙し討ちみたいな誘い方してカンニン、とつなげた。

たしかに、よくよく考えてみると新入部員の面談があると聞いて着いていったら、ハルカスに登って居酒屋で歓迎されているのだからおかしな話もあったものだ。


 「おーい、二人ともお会計終わったから出るよ」
無慈悲にも副会長が周と千代ちゃんを呼びに来た。これから自分はヨッパライ二人の相手をしないといけないのか……、いやそもそもナゼこんなことになったのか。
入部に消極的な人間がナゼ新入部員歓迎会2次会に出席するのか……。

このとき3杯目のビールとともに諸々の疑問を飲み干していなかったら、別の学生生活があったのかもしれない。
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「なんやさくらちゃんメッチャ赤い顔して〜、なんぼなんでも飲みすぎやぞ!」
……会長、それはポストです。飲み過ぎなのはあなたです。

「分かってるて!冗談やて〜、にしても顔色悪いなァ神路くんはァ」
……お地蔵さんに話しかけてはる。
ツッコミ待ちなのか完全に酔ってるのか分かりかねるので無視して、明らかに蛇行しているさくらセンパイを呼び止める。

 「なにィ、気安く触らんといてぇ」
できれば触らぬ神に祟りなし、がよいのだけど側溝に速攻で落ちそうな人を見て腕をとらないわけにはいかない。

すいません、でもこのままだと溝に落ちるか電柱に頭ぶつけますよ、センパイ。
「はぁ、そか。ありがとぉ」
そう言うとさくらセンパイは、グイと自分の腕を引っ張ると全体重を預けてきた。
「ちょ、お、重い。重いですってセンパイ」
 

「アホぉ!女の子ぉに向かって重いゆーたらアカンやろぉ」
自分で女の子って……。紛れもない女の子だけど。
「すいません、センパイは軽い“女の子”だと思いますけど、たださすがにこう支えきれないといいますか……」

 「誰が軽い女やねんな!ウチこー見えてもメチャ重いねん、引きずんねん……」
以下、怒涛の中高付き合ったカレシ列伝が続くも紙面の都合上省略。

小3の1か月半、お手々つないで登下校してたマーくんから始まり、バイト先の店長*1まで総勢7名。
 
……日本語ってムズカシイですね。そして動けない。かといっておんぶするわけにもいかない。反復横跳びの如く、電柱とブロック塀に並ぶ「立ち小便禁止」の貼り紙を1枚ずつ激写している会長はまだ動けそうだった。

 

「会長、さくらセンパイ運ぶの手伝ってくれませんか?」

「ええよ~。この小便すなfeat鳥居の写真撮ったらな~」

ここにはマイペースな人間しかいないのか。絶望した。

 

 住宅街なのか飲食店街なのか分からない区画を抜けるといつのまにかJR天王寺駅側にでていた。ここから地下鉄に乗れば10分ほどでアパートに帰れる。

しかし、こっち側に来たことなかったな。

タクシープールの向こう側には広大な芝生が広がり、通天閣が独特のネオンを街に放っていた。天王寺駅前通り、の簡素なアーケードが見える。

 

 さくらセンパイの右腕を肩にかけ、会長が左腕を肩にかける。三人が横並びで歩くとヒジョーに邪魔くさいが、仕方ない。もう今日は帰った方がよいのではないか、と思うも当の本人であるさくらセンパイは「夜風を浴びればまっすぐ歩ける」と頑なに帰ろうとしないので、仕方ない。

 

  あっこ、「てんしば」なんて言うてBBQ場やら芝生広場やら家族連れが集まるエリアになってるけど10年前までひどいもんやったワ。

信号待ちをしている間、会長が独り言なのか分からないくらいの声量でポツリとこぼした。

会長の二重顎でしゃくる方向をみるとたしかに「てんしば」と広大な芝生の上にモニュメントが建っている。

 

そういや記憶もおぼろげながら、動物園行きたい!と祖父に懇願して周と連れて行ってもらった時、ブルーシートのテントが建ち並んでいたっけ。

「もっと酷いときは勝手にカラオケ大会開いてて笑ったわ。アレどっから電源引いてたんやろな」

「電灯とか公園は結構ありますし、そっからじゃないですか?」

「ッハハ!神路くんスゴイな、その発想。さすがにそれはアカンやろ。誰かが発電機持ってきはったらしいわ」

……それもどうかと思う。

 

 あ、ごめんな。唐突に会長に謝られてふと顔をあげる。

「なんか、そういう滅茶苦茶な人見ると俺も負けられへん!てなってな。飛田新地もそうやけど、逞しい人がすっきゃねん。弱いからなァ、俺」

「あの、自分は会長のこと逞しく見えるんですけど」

「えー、自分そんな風に俺のこと見えてんの~?虚勢張ってるだけやわ、俺は」

会長は努力する方向を間違えているだけなのかもしれない。

道端に積んである空き缶の山を蹴散らし慌てふためいている会長を横目にそう思った。

……いやただの破滅型のヒトかも。

 

「せやから、いちびって*2王道の観光地よりヘンなとこ行きたなんねんな」

そんで副会長からまともな“観光案内”せえ言われんねん、と乾いた笑いをこぼしながらも全く懲りてない表情の会長だった。

「ダークツーリズム」っていま流行ってるらしいですし、いいと思いますよ、とフォローを入れる。綺麗な景色に雄々しい伝説、それだけが伝えられるのは何だかわからないけれど違う気がする。負の遺産や一見汚くみえるものも残していく必要はあるはずだ。

 

「ありがとうな、神路くんエエ男やわ。公式イケダンディズムや」

「いや、会長こそ池の水全部抜くダンディーですよ」

「へへへ」「ふふふ」

「「あーはっはっは」」

 

 「やかましい!!!」

頸部を圧迫されたことにより「「ヒュッ」」と喉笛が鳴り、会長と自分の馬鹿笑いはアベチカ前の謎空間に響き渡ることはなかった。そういえば、さくらセンパイは二人の首を絞めることが可能な状態だった。

どうやらスリープモードだったさくらセンパイの目が完全に覚め、会話が嚙み合ってないが声はデカい二人にイライラしていたそうな。まあ耳元で騒がれたら誰でもそうなるか。

「さくらちゃん、次から首絞める時は予告してな、いきなりやられるとビビるから」

何をお願いしているんだ、この人は。

「もう歩けるんで、いいですよ。ありがとうございました。まだアベノなんですか?」

「さすがに難波まで行かれへんやろ思てな」

時刻は21時半。大阪の地下鉄の終電は早く、油断すると駅前で途方に暮れることになる。

実際に大阪の通勤・通学・観光に欠かせない地下鉄御堂筋線天王寺→梅田(大阪)の終電は00時03分だ。

 

「せやったら種よし行きましょーよ」

「空いてるかなァ、あそこ。ギチギチやと思うで」

「なら、酔虎伝!」

「わざわざ阪和商店街行くのに酔虎伝入らんでもええやんか」

 

「あの、どんなとこなんですか?阪和商店街って。商店街の中に飲み屋があるとか??」

東京で言うと赤羽みたいな感じかな。

「んー。一言でいうとやな、キューズモールとかきれいやんか。アレのできる前の商店街とよく似てる、地元土着臭あふれる古き良き酒場の集う街㏌アベノ愛称ウラ天王寺……てとこやな」

一言の情報量が多すぎる。

 

 ウラ天王寺というにはあまりに天王寺駅に近いが、阪和商店街はボロボロのアーケードの屋根、外にあるトイレ、細い路地……という戦後のゴタゴタが色濃く残るところで、空間よりも時間的な距離のある意味で“ウラ”なのだった。

(この数か月後に知ることとなる、ウラなんばは南海難波駅より南で位置的に“ウラ”だった)

 

阪和商店街の店はどこも繁盛しており、できあがった人々でごった返していた。なんなら入店を待つ間にコンビニで買った缶チューハイを飲み歓談している人もいるくらいだ。

さくらセンパイが話していた「種よし」も御多分に漏れず満員で、途方に暮れる飲んだくれ3人衆。

ほな、いつものトコ入るか。そう言い放つと会長はいま来た道を戻り、それなりに客を収容できそうな店に足を進めたのだった。

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 「我々は誇り立つK大精神を失ってはならん!!」

掘りごたつのあるお店っていいよねー、とさくらセンパイが話を振ったはずなのになぜか会長は再びK大の誇りを取り戻す路線の話を始めてしまった。

 

 「あ、去年は大阪城いったんやけどぉ、あそこらへんって外国人観光客めっちゃ多くてホンマに観光案内したことあんねん。抹茶ソフト紹介したらお礼言われたわ」

「海外のヒトって抹茶好きですよね。あれなんでなんでしょうねえ」

「緑で目に優しいから*3やない、知らんけど」

会長は引き続きKKDR(関西有名私大の序列)について熱く語っている。少しでも反応すると厄介そうなので完全に無視を決め込み、このサークルが入部に値するかどうかさくらセンパイに去年の活動実績について聞いてみた。

 

「まあ、ウチも正式に入ったんは去年の11月からやからその前まで何やってたんかは知らんけど、今年の2月なんかはユニバ行ったわ」

「ええ?!飛田新地とかじゃないんですか!?!」

我ながら滅茶苦茶な反応である。

「ま、あそこもある意味テーマパークやけど……。会長が旧桜島駅?の跡見に行くからユニバ行くぞー、て話してて便乗してん」

 

巨大工場群からUSJへ

そうか、そういう方法で観光地にいくこともできるのか。

 

「結局、会長放置してたら寂しなったんか午後はみんなでアメージング・アドベンチャーとかで遊んでたんやけど」

www.usj.co.jp

さくらセンパイはそう言って効果音付きで手から蜘蛛の糸を飛ばす仕草をみせた。USJ行ったことないな。

しかし、ただ遊んでいるだけで部費の申請は通るのだろうか。

 

「ん~。ま、そこらへんは会長が勝手にテーマ作って、副会長が文面整えてぇ、最後は渉外のソーやん……あ、岸里クンが掛け合ってくれるからなんとかなってん」

あれ……ってことは、さくらセンパイはなにもやってないのでは……。

 

「去年はまだ入ったばっかやしぃ、しゃーないやん。でもこれでわかったやろ?案外どこでも行けんねん。会長企画のときはヘンなトコ連れてかれるから要注意やけど」

 

 そんな風に会長をくさしている横で、会話の輪から除かれていることをまったく気にしてないのか、会長は関西私大の雄であるD大を滅茶苦茶にくさしていた。

 

「せやからアカンねん、あそこは。お高くとまってるボンボン大学や。K大はバンカラ精神のある大学や。K学院大は名前が被ってるし、あそこもボンボンや。アカン。えー、R大……ここは遠いわ、キャンパスが。うん。しかもなんか茨木*4にキャンパス作るらしいやんか。許されへん。領域侵犯やろ」

ぇ……無視されてるからか、めちゃくちゃ*5言ってる……。

 

 すると、さくらセンパイはほぼ空になったハイボールのグラスをカラカラと鳴らしながら何も言えなかった自分の代わりに反論した。

「まあ、神戸大行く言うて玉砕した挙句、一浪して神戸大と同じ三商大やし大阪愛がある、とか理由つけて市立大受けて落ちて、二浪して裕福でない家庭のために国公立はあるから、ってK大の夜学以外全部落ちた人は何言ってもアカンと思いますけどねぇ~」

 

「ちゃうねん、さくらちゃん、あれはワザと落ちてん。前期試験のときメッチャ腹いたかってん。せやから次の年は正露丸飲んで試験受けたら間違えて睡眠導入剤のんでもーて試験の最中なんに寝てもーて……」

「あれ、去年はストッパとコーラック交互に飲んだらコーラックが勝ってトイレに籠城した挙句タイムアップした、って話してませんでしたぁ?」

「去年は去年、今はいまや」

 

ああ、一浪して縁のないK大へ進学した自分には耳が痛い話だ。

それにつけても会長のハートは強すぎる。

 

「しかしやな、神路くん。キミはなんでまた東京モンなんにK大受けたん?やっぱりバンカラな気風に憧れて、周クンも志望してるし受けたとか?」

 

さっきまでK大愛を語っていた人に「H政大落ちて一浪している以上、日本を代表する名前の大学か、ここしか受かったとこないし入学するしかなくて……」

とは言えない。勢いをつけるため大阪発祥(らしい)ガリサワーを一気に飲み干し、この混沌とした社会を安全に生きのびるための学部がK大しかないからです!!

とまったくもって真っ赤であり、大ぼら吹きの嘘八百なデタラメを高らかに宣言したのであった。

ちなみにこのいかにもたこにも灰撒くような狂言的なマンパチ宣言は4年後の就職活動にて大いに役立ったことをここに付記しておく。

 

この空言を聞いた会長がなんしか*6K大を肯定してくれた、と喜んだのは当然であった(さくらセンパイはすかさずお花を摘みにその場から立ち去った)。

「神路くん!!君はこのKKKKに入るべきや。なぜなら関西を代表する大学の関西を案内するこのサークルは関西の中の関西、キング・オブ・カンサイ。社会の安全を考えるちゅうのはここでしか学べへん。そしてこのサークルしか関西一円を深く知り、その足で学び共有できひんのは言わずもがなや。な、キミの入学目的とこのサークルの理念は一致してんねん」

 

違うか?と語りかける会長に「違います」、とは言えず同じ方向を向いてる気はしますね、と曖昧模糊に答えるほかなかった。

「来週も活動に来てくれるかな?」

いいとも、と言わざるをえない聞き方。

 

「前向きに検討いたします!!」

元気よくしゃべればなんとかなる言い方。

 

 結果として自分は、このサークルに対する不安(というか会長に対する不安)はさくらセンパイのユニバの話で薄まり、会長も時おり発作的にK大について演説するけど、無視すればいい、とアルコールにより頭が回ってない状態で「入部」の判断を下したのであった。

 

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 阪和商店街は朝も夜も関係なく薄暗いためしばらく気づかなかったが、店の人に閉店なんで……と言われ駅前まで出るとすっかり空は白んでいた。

どうやらイカニモ大学生らしい“オール”という行為を成し遂げてしまったようだ。

 

「ほな、これから新聞配達のバイトあるからここで帰るわ。今日はありがとうな二人とも」

「なんかすっかり酔い醒めてもーた気ぃしますね。ふあぁ……、今日は講義サボって寝よ」

……いまから風呂に入り仮眠をとって高槻の山奥へ向かうとして、果たして2限に間に合うだろうか。不可能な気がする。

「神路くん来週よろしくな~。なんしか部室に昼ごろ来てくれたらええから、詳しくは周クンに聞いてや」

寝惚け眼でうつらうつらとしていた自分は、当然首をヨコよかタテに振りやすかったので、入部しないルートはこの辺で消えていた。そう、このときは帰って何時間眠れるか計算していたので深く考えてなかったのだった。

 

 かくしてアベノ界隈で過ごした、大学入学以来最も濃い一日が終わりを告げた。

 にしても散歩、どこ行くんだろ。そもそも部室ってあったっけ。周からその辺一切聞いてないな。

地下鉄に揺られながらそう考えていたはずが、気づいたらアパートの床に臥せっていたのが人生の不思議なところである。

あ、領収書が落ちてる。¥9,800也。財布の一万円札がいつの間にか千円札になっていた。

?????

 

 領収書の裏面にさくらセンパイからのメッセージが書かれていた。

「立て替えありがとぉ♡来週の会合で会長が返すらしいから忘れずにね~」

あ……?人質とられてんじゃん。

 これはもう部室に行くしかない。朝シャワーを終え、鏡を見ると覚悟を決めた男の顔になった自分がいた。

おもむろにカーテンを開け、まぶしい陽ざしを浴びて大きく深呼吸をする。気持ちの良い朝だ。

いや、南向きの窓から思い切り陽ざしが入ってくるのはおかしいな、と時計を見ると正午だ。

 

そう気づいた自分は、にわかにカーテンを閉め、仄暗いベッドに滑り込み小さく丸まって二度寝を決め込んだのであった。

これが大学生活初の自主休講であった。

 

よい子のみんなはキチンと朝起きて大学に行こうね!!

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

・阪和商店街(ウラ天王寺

再開発ですっかり綺麗になったキタ・ミナミの繁華街と異なり、未だに戦後のゴタゴタ感を色濃く残しているのがこのゾーン。

闇市が元になったという商店街ですが、アベノ再開発は着々と進んでおり、道を外れると謎のコインパーキングがあったりするので、いつかは小綺麗なエリアになるのでしょうが……。

今はなき、あべの銀座商店街の幻影を見られる貴重な一帯はウラ天王寺とも称され、呑兵衛の憩いの場になっています。

ただ、激混み……。いそのくんと18時くらいから飲んでたのですが、1時間程度でごったがえしてました。

 

東京でたとえるなら思い出横丁(立地的に)や新宿ゴールデン街(密度的に)でしょうか。

酔虎伝などチェーン店も出店していますし、昭和レトロな雰囲気だけ味わうことも可能。

若者向け(?)な店で言うと「スタンドそのだ」なんかも出店していますよ~!

 

次回こそアベノから出ます……。

*1:二股かけてたクズ。人として許されへん、とのこと

*2:調子乗って

*3:緑のワサビを甘いと勘違いして酷い目に遭う、という嘘か真か分からない話を聞いたことがあります

*4:茨城県ではなく大阪市北部の茨木市のことですね

*5:たしかに関西は国公立大学が多く、裕福な家庭でないと私大には進学できないと思われるが、それはK大にも言えることではないか。だいたいK大を受ける人は圧倒的に大阪の人が多いのだから京都や兵庫にある私大と競合している気もしない。そしてR大のキャンパスはたしかにD大の上京区にあるキャンパスと比べると遠いのだけど、それを言うと社会安全学部のK大生たる自分は高槻の山奥に通っているわけで難癖にもほどがある、とその場で言えなかったのが悔やまれる。

*6:とにかく

佐倉を満喫する【前篇】

前の記事に書きましたが、悔しいくやしい思い出をGW中にしました、島鉄です。

 

my-butsu.hatenablog.com

結果的にいそのくんが記事にしている通り、お目当ての中世武士団店には行けたので、その悔しさは解消されましたが、まさか1週間に2回も佐倉市に行くことになるとは思わなかったです。

で、6月も終わりそうなのでそろそろ記事にしようかと思い立ったわけですね。

 

東京から約一時間半ほどでしょうか。成田空港が近く、千葉県に来た感が強い、そんな近くて遠い場所が佐倉です。

隣駅が大佐倉なのいいな。このときはまさか展示が見られないとは露ほども思っていない呑気な島鉄

 

野良キャラゲットだぜ

どうやら国立歴史民俗博物館はお城の跡に建っているみたいです。

武家屋敷も建ち並び、『兵の関八州』のイメージが膨らみますね。

 

やっているのかわからない

駐車し放題

 

歴史民俗博物館に向かう道もなかなかに興味深いものであふれています。

京成佐倉駅から徒歩15分とやや離れているのですが、時間に余裕のある方は歩いてみるのも一興です。ちなみに、いそのくんと行った結果、島鉄的には博物館の目の前に停車してくれるバスが一番楽だという結論に至りました。

本数こそ少ないものの、東京駅から一本で行けてしまいます。

www.chibagreenbus.co.jp

茅葺き……の下に瓦が!

心なしか建っている民家にも歴史を感じます。

ここらへんがこの日のテンションのピークだったかもしれません。

 

なぜここに……?

国立歴史民俗博物館に入るとお出迎えしてくれるのが大分は臼杵の摩崖仏(のレプリカ)。

……なんで?

臼杵の生姜せんべいを愛媛に住む祖父がよく送ってくれたなあ。家族みんななんだかんだ手を付けないから、大体湿ってた思い出。

 

レプリカゆえに現地では鑑賞できない角度からゆっくり見られます。摩崖仏マニアにはたまらないですね(←テキトー)。

 

他にも旧城址だけあって、佐倉城は近世に造られた城郭としては珍しく石垣のない土塁を築いた城であったことや、明治時代以降は旧軍(佐倉連隊)施設として利用されたため寺社が立ち退きを迫られたこと、現歴史民俗博物館は侍屋敷の上に建っていることなど色々解説板が置いてあり、勉強になります。

 

ここが……!入口

よし!中世武士団に会いに行くぞー!!

……からの、時間指定オーバー(完全にこちらが悪い)、あとの観覧時間の予約は全て埋まってますコンボを喰らい、島鉄は入館するも何も見られないことが確定したのでした。

 

てことで、日本歴史民俗博物館に入館するも肝心の展示が見られず、提携している日本全土の博物館・美術館の図録を眺めながら*1、やることがなくなってしまった島鉄は「佐倉城址公園」を満喫することにしました。

 

先ほど紹介した通り、ここ日本歴史民俗博物館はお城の跡に建っているのです。城の跡=旧軍施設という例*2に漏れず、ここも旧陸軍施設も見られます。

これは、中世武士団展に負けず劣らず面白そうですね!(←負け惜しみ)

 

開き戸タイプの自動ドアを初めて見てびっくりしました

あと歴史民俗博物館の自動ドア、日本だとあまり見ないタイプでびっくりしました。これだけでも面白い(負け惜しみ2)。

 

 

さて、歴史民俗博物館を出ますと真横に見えるのが復元したという馬出し空濠です。

よく見えませんが、意外と深く騎兵の戦力を削る仕組みだと分かります

 

 

さらにずんずん進むと本丸までのロードマップが道すがらあるので、歩いていきます。

ちなみに、ここ佐倉市は車社会ですから、当然ドデカイ駐車場がここ歴史民俗博物館および佐倉城址公園にも存在します。

貴重な遺構。が、建屋自体は現存せず

よって情緒のかけらもない、と言っては失礼ですがこの陸軍病院跡も

臨時駐車場。開放感ありますね

パーキングになってました。かなしい。

もっとも、その陸軍も佐倉城の建物を取り壊した上に兵舎を置いたわけですから、スクラップ&ビルドとゆーことなのでしょー。

しかし、城の礎石をそのまま転用するなんてすごいですね……。

 

さらに旧軍関係でいうと、本丸跡には夫婦モッコクという二本のモッコクが並んで生えている場所があるのですが、そこに兵士の落書きが彫られているというのです。

思った以上にガッツリ彫られてました。まだ100年も経過してませんもんね。
それにしても、今のご時世なら炎上しかねません。デジタルタトゥーも真っ青ですね。

天然記念物もそれ以外の自然も大事に守っていきたいものです。

 

また、この本丸跡に至るまでに鬱蒼とした谷が嫌でも目に入ってくるのですが、これはすべて空堀。それなりに落差があるため、ちょっとした渓谷のようで愉快なハイキング気分が味わえるのですが、戦いに備えたものなんですよね。水がなくても敵の矢、石が飛んでくる中、堀を越えるのはヒジョーに苦しそうです。

 

広ーい

本丸跡(二の丸なども含む)はだだっ広い公園になっています。これは絶好のピクニックスポット。テントを張る人やバトミントンに興じる人が見られました。

なお天守自体は明治時代を待つことなく、文化十年(1813)に焼失しています。が、今でも佐倉城址公園センター(滅茶苦茶端っこにある)にいくと模型が飾られているようです。百名城スタンプもセンターに置いてあるので、お城好きは強制的に城郭全体を歩くことになりそうです。

島鉄はあきらめました。だってこれから行く先の反対方向なんだもの。

日本史教科書でおなじみ

日米修好通商条約を結ぼうと努力した、幕末の開国の重要人物である堀田正睦とハリス像ではありませんか!

日本における初代米国総領事ハリス | 下田市

下田に行ったときに見た覚えが……。

 

しかし堀田正睦ってこんな顔でしたっけ。氏は開国派で佐倉藩出身ということしか知りません。老中首座ながら、攘夷派や保守的な時の孝明天皇(条約の勅許を天皇にもらう必要がある)に苦労した人ってイメージですね。しかし、郷土ではその報われなさも含めて評価されているのですね……。

よかったよかった。

 

とゆーのは主に帰って編集作業しながらしみじみしていたのであって、このとき実際に島鉄が夢中になっていたのはこちら!!

 

ええ、読者諸兄の困惑する顔が目に浮かびます。

この階段ナニ?

 

答えは……。

 

富士塚です!!!

 

……あッ!ブラウザバックしないでください!!
たしかに、現地にいた島鉄も当時は「いやいやいや……こんなショボい富士塚ある?」

と舐め腐ってましたが、それなりにいいながめなのですよ。

 

下総の開発された田地と澄んだ空が見えますね

ホラ、綺麗ではないですか。

正直、期待値が下がりまくっていたからか「おおー」と声が漏れてしまいました。

 

天守閣も残っていないですし、今や城址といえど、だだっ広い公園のようなものですがこうして景色を見ると印旛沼にほど近い、近世に開発された土地の顔を一望出来て面白いと思いませんか?

 

……ちなみに今の季節(夏)は蚊が大量発生中だと思いますので、お気をつけてください。

 

他にも姥が池には蛙と可憐なカキツバタが咲きほこっていました。

わりとエグイなー、伝説。

青や紫色の花が多いですが、私的には黄色のカキツバタがお気に入りです。

春~初夏っぽくてグー。しかしこの記事を上げた6月末は真夏日続きで、遠い思い出になってしまいましたが……。

 

カキツバタの咲く中、旧軍施設の訓練用階段が。

後日、いそのくんと実際に登ってみましたが、ケッコー高くて怖いです。

段差も急ですし。

利用されていた頃の写真を見ると階段に登るための階段がある、とゆーのがどこかおかしいですね。

 

お城跡を一周して、島鉄は外の武家屋敷を見にさらに足を延ばします。

思えば、「中世武士団展」を見に来ただけなのに……。

 

佐倉市は少し東京都心からは遠いですが、成田空港から近いので歴史ファンの非関東民は必見かもしれませんね。

 

もう2か月前のことですが……続きます。

 

島鉄

*1:派手にすごい。思わずヤケ買いしました。中世武士団展の図録はなんと要予約

*2:たとえば大阪城には第四師団本部がありました

はにわ通信 第17号「雨」

雨という文字の象形が好きだ。

「`」の水滴っぷり。

文字を眺めているうち、ザーという音が聞こえて、身体に雫がついているような気がしてくる。

 

梅雨

関東地方は梅雨入りしたようだ。

雨は嫌いではないのだが、雨と一緒に訪れる急な冷え込みはやめてほしい。

せっかく徐々に暑くなる日々に慣れてきていたのに、調子が狂ってしまう。

 

サウナ

不調なのでサウナに行ってきた。

最近は一時期と比べてぼくのサウナ熱はクールダウンしていたが、久々に入るといいものだ。

汗をかき、水に浸かり、外気に身をさらす。

椅子に座って空を見ていると日々の悩みが小さくなっていった。

 

King Gnuの『傘』。雨の日に聴きたくなるね。

 

長崎空港まで最寄り駅から歩く

長崎に行くことが度々ある。

数年前から長崎市内に親類が住んでいるのだ。

 

東京からの交通手段としては安いジェットスターが飛んでいて便利だ。

そして長崎空港からはバスで市内まで40~50分で行ける。

空港から市内へのアクセス方法は他になにがあるだろうか。サイトを見てみる。

 

 

 

連絡船というのがある。

そう、言っていなかったが長崎空港大村湾のなかに浮かぶ海上空港なのだ。

 

Wikipediaより ブルーノ・プラス氏撮影 

 

ただ船はハウステンボスには行くが長崎市内へは行かないらしい。

では、車(バス)以外の手段はないのだろうか?

グーグルマップを見る。

 

 

鉄道が東を走っている。

JR大村線諏訪駅が近そうだ。

距離は?4.5kmらしい。

 

歩けそう。歩いてみた。

 

歩く

諏訪駅

 

19:21、諏訪駅に着いた。

無人駅だった。

 

4.5kmなら1時間ちょっとで歩けるはず。

21時台の飛行機の最終便に乗る予定だ。

 

単線だ

 

電車が通り過ぎるとあたりは静かになった。

想像以上になにもないところだ。不安になってくる。

 

不安だ

 

けれど降り立ったからには歩かなければならない。

飛行機の時間もある。先を急ごう。

 

住宅街

 

住宅街を歩く。夜にひとりで知らない住宅街にいるとすごい孤独を感じる。

まわりを見渡してもだれも空港まで歩いている人なんていない。

これは空港のアクセスに載っていないのも納得だ。だって夜暗いもん。

 

電柱が続く

電灯で照らされてはいるが、住宅街は暗かった。

空を見ると星が輝いていた。

 

電柱と電線と星

 

不安と孤独感を写真を撮ることに集中して紛らわせる。

長時間露光で星が写り嬉しかったがこれを撮るために10分以上かかってしまった。

目的を見失ってはいけない。時間がなくなってきている。

 

大通り

 

残り時間に焦りながら早歩きで大通りを歩く。

 

大きな病院

 

ひたすら歩くことにだけ心を傾ける。

なくなってきている時間への不安、夜道にひとりでいる不安。

しかし不安に囚われてはいけない。ぼくにできることはただ歩くこと。

 

長崎空港の看板

 

長崎空港の看板がやっと見えた。

少しだけ不安が薄れる。歩き続ければたどり着くのだと自分を鼓舞する。

 

只今の風速

 

4m

 

やっと空港手前の橋まで来た。

あとはこの橋を渡れば空港だ。

 

あとはこの橋だけなんだ

 

暗すぎる

 

歩くことは”行”だと思う。

一歩に集中し、呼吸を整えているうちに意識が自己から離れていく感覚がある。

ここに来るまでに乗ったバスや電車、ホテルや食事のサービスを提供してくれた人たち、橋を走っていたランナーへ感謝の気持ちが不思議なくらい高まる。

 

大丈夫、もう不安はない。

 

箕島大橋。長さ970m。

 

約1kmの箕島大橋も半分を過ぎた。

 

光だ

 

空港の灯りが見えてきた。

時間は20:10。なんとかなった。

 

長い橋だった

 

渡り終えた。

家に帰ろう。

 

長崎空港

 

振り返る

というわけで約1時間かけて諏訪駅から長崎空港までを歩いた。

人にはおすすめできないけれど、ぼくのなかでは得たものは大きかった。

 

実はこの企画は2021年の春にやっていて、ちょうど1年前のことになる。

黙々と歩いているうちに変わっていく自分の心の変化がおもしろくて、秋の大阪横断(同人誌『埋物の庭vol.2』の企画)につながった。

 

これからも長い距離を歩いていきたいな。

 

2022年春撮影

はにわ通信 第16号「ゴールデンカムイが終わり、ゴールデンではないカムイが始まる(嘘)」

皆さまご機嫌麗しゅう。島鉄ですわ。

ゴールデンウィークの記事を、もう水無月も近いのにうpあそばせたのですけど、もうご覧になって?

(以下お嬢様言葉が思いつかないので平民の文とする)

 

島鉄の展覧会行きたい熱(天気も手伝ってなぜか旅行先で2回も美術館に行った)は、誰であろうと抑えることはできません。そもそも抑えようとする人がいませんけど。

 

というわけで、ゴールデンウィークのあとはゴールデンカムイだ!!!

 

GW中に訪れた中之島美術館は雨の日、大阪市立美術館も小雨の降る日だったためそれほど大勢の観覧客はいませんでした。

 

が!ゴールデンカムイ展はやはり人気。

平日とはいえ、ヒトヒトヒトヒト……。

入場前からもう、げっそりとしてしまいました。

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とはいえ、すんなり中には入れました。

よかったよかった……。


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いや中も人多っ!(←トーゼン)

東京ドームシティでの展示ということもあり、館内は狭め。人混み大嫌いな島鉄にとってなかなかに厳しいコンディションです。土佐弁っぽい言葉も耳に入ったので全国のゴールデンカムイファンが集結しているのでしょう。

 

ここでサラッと『ゴールデンカムイ』について触れておきます。

舞台は気高き北の大地・北海道。

時代は、激動の明治後期。

 

日露戦争という死線を潜り抜け『不死身の杉元』という異名を持った元兵士・杉元は、ある目的の為に大金を欲していた…。

一攫千金を目指しゴールドラッシュに湧いた北海道へ足を踏み入れた杉元を待っていたのは、網走監獄の死刑囚達が隠した莫大な埋蔵金への手掛かりだった!!?

 

雄大で圧倒的な大自然! VS凶悪な死刑囚!!

そして、純真無垢なアイヌの少女・アシリパとの出逢い!!!

 

莫大な黄金を巡る生存競争サバイバルが幕を開けるッ!!!!

 

どうですか?ワクワクしません??

一言でなかなか言えないのですが、とにかく作者の野田サトルさんのやりたいこと全部詰め漫画です。

 

美味しそうなアイヌ(たまに和人や多民族も)グルメ、しょーもない下ネタ、個性豊かな犯罪者、猛威を振るうヒグマ、民族文化や道具、ときに垣間見える各キャラクターの暗い影、しょーもない下ネタ……。

このうち、どれかが刺さったらまぁハマると思います。

メインの金塊争奪戦・暗号解読も面白いのですけど、キャラクターやサブストーリーも魅力的なのですよね。

 

そんな『ゴールデンカムイ』の世界を展示しているのだとゆーのだから、これは行くっきゃない!

土日はほぼ埋まっていましたので、平日早退して向かいました。


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北海道アイヌの装束であるテタラペや作中でも最初と最後を飾る(?)ヒグマの剥製……。


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原画も飾ってます。間近で見られるのうれしい。

とにかく人が多いですけど、合間合間で写真を撮れる(ほぼ撮影OK)うえに皆さん優しいので譲り合いの精神で展示を一通り見られました。


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後半は北海道アイヌに限らず樺太アイヌニヴフ民族など、北アジア少数民族について文化が紹介されています。

少数民族について知るきっかけを生んだ点で『ゴールデンカムイ』は優れた作品ではないか、と個人的には思っています。f:id:haniwakai:20220528161821j:image

作中で出てきたキサラリ(泣く子供を驚かせる道具)が展示されています。

妖怪は文化を越える(ブギーマン、なまはげ、キサラリ) – 妖怪屋youkaiya.jp

 

こういった展示品を見ると大阪の国立民族学博物館や北海道のウポポイが気になってきますね〜。

そういえば、天理には大学附属の参考館*1があったな……。

国立歴史民俗博物館でもじっくり見られなかったし……。

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一枚だけ国立歴史民俗博物館で撮った写真。

藁の龍。ワラゴン。

 

あ、話題が逸れてしまいました。

ゴールデンカムイ』展では上記のような民族文化について紹介するコーナーもありつつ、個性豊かな囚人たちの紹介コーナー*2


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囚人のモデルとなった人物の新聞記事もあります。これはなかなか良き展示。

 

そして、ストーリー順に名シーンを集めた原画が並んでいます。

 

そしてカラーイラストコーナー、とファン大満足の構成。


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カラーイラストの次にある最後のコーナーだけは写真厳禁ですが、漫画アプリでの無料全話配信といい、集英社なかなか太っ腹ですね。

 

かなり激混みですがゴールデンカムイのライトファンでも楽しめる内容でしたので、足を運んでみてはいかがでしょーか。

展示最後に抜け目なくゥポポイの宣伝&自社の新書チラシが置いてあったの、好き。

 


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では、作者の最推しキャラである谷垣が落ちている写真でオチといたします。

アプンノ オカ ヤン

*1:天理教を世界に広める上で世界の風習を学ぶ必要があると考えられ設立されたとか

*2:こんな人いたっけ?となること請け合い

ゴールデンウィークの思い出

尾形効果なのかはともかく混んでました……

 

いやー、『ゴールデンカムイ』連載終わりましたね。

 

つい最近ゴールデンカムイ展に行ってきました、島鉄です。

ゴールデンと言えばGW中に展覧会行ったり、ビチョビチョになって”こうもん”撮影したりしてたな。

 

うん、これは記事にしよう。

 

雨の毛馬こうもん

大阪にまた行ってきました。

今年は京都文フリのあった1月、大阪公立大が生まれる前に大阪府立大学と市立大学を見に行った3月、と関西には2か月に1度行っている計算になりますね。

行き過ぎでは?と思われるでしょうが、意外と見どころがいっぱいあるんですね。

 

『さんぽ・まち・かんさい』で関西方面の散歩や観光地は紹介すればいいや……と思っていましたが、去るGWの大阪では割と酷い目に遭った(天気的な意味で)ので、記事にしました。

 

前置きが長くなりました。まず初めに行ってきたのはここです!!

毛に馬にこうもんって……しょーもない下ネタで心惹かれました

毛馬こうもん(すしざんまいと同じ響き)!!

いや、ほんと出オチでしかないんですけど、名前がファニーだし閘門ってなかなか見られないし……ちゅーわけで雨の降りしきる中、川に向かった*1わけなのです。

 

これが……閘門!

間近で見るとかなり大きいです。

ちなみにこのときすでに島鉄の足はビチョビチョでした。あれ靴脱いだっけ?ってくらいには濡れてました。おそらく軽さだけで選んだランニングシューズの通気性のよさがそうさせたのでしょうね。

閘門の仕組みはとってもかんたん。水位の異なる河川を行きかうためにA川の水位とB川の水位を人為的に同じ位置にしてあげる、というものです。この場合、淀川と大川(旧淀川)ですね。

閘門=水のエレベーターと称する場合もあります。なるほど分かりやすいたとえです。

そのためそれまでの間、船はおとなしく停止線より後ろで待っていなくてはなりません。

ちなみに毛馬こうもんでは1.5~2m程度の水位差しかないのですが、この遊覧船が通るまで20分くらいはかかりました。

5分くらいして動画を撮り始めたのを後悔。もう足が濡れてぬれて……。

まあ、遊覧船のヒトからすると「なんであの人ずっとカメラむけて待ってんねやろ、こわ……」という心境でしたでしょうから、何も言えません。

今度は船の中から毛馬こうもんの水のエレベーターを体験したいな、と濡れ鼠の私は思いました。

 

ちなみに毛馬こうもんは歴史が古く、旧毛馬第一閘門および洗堰の一部が保存されています。

注意書きが怖すぎる。古いだけあって高確率で地震の際には倒壊するリスク大なのでしょう。

 

ここはかつて船が行き交った場所なのだ……と思うと不思議な気分です。蚊柱さえ目に入らなければ、レンガ造りのモダンで静謐な素敵なスポット。

写真の左右に写る鎖と高さの違う係船環。この場所がかつて閘門であったことを伝えています。

 

肝心の閘門の仕組み、全然わからないのが玉に瑕。

 

他にも大阪城建造の際に石垣に選ばれなかった残念石や淀川改修紀功碑があったり、淀川の歴史を学べるいいスポットです。

ぜひ、天気のいい日に淀川にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

雨の日に行くやつはアホです。

 

毛馬と言えば、与謝蕪村の出生地でもあります。晴れた日に文学散歩をするのもよいでしょう。

なんか句碑が軒並みなぎ倒されているゾーンがありましたが、芭蕉の仕業でしょうか(濡れ衣)。

濡れた体のまま屋外から屋内へ行きたい……と考えた島鉄中之島に新しくできた美術館へ行くことを決めました。

とっても綺麗な中之島美術館

く、黒い!

雨の中バスを使ってたどり着いた大阪中之島美術館。ここは今年の春できたばかりのピカピカミュージアムなのです!

nakka-art.jp

すぐ隣には大阪市立科学館国立国際美術館があります。水都大阪を代表する中之島エリアに、また一つ文化的な場所が増えたのですね。

 

入口では巨大な猫がお出迎え。

大阪府茨木市出身のヤノベケンジ氏の作品です

作品名は『シップス・キャット(ミューズ)』。大航海時代の安全航海の守り神兼船乗りの癒し役である猫がモチーフです。

晴れの日であればゆっくり鑑賞したいところですが、濡れ鼠だったので館内に避難しました。

外観はポストモダンな黒い箱でしたが、館内も未来的です。シンプルで天井の高い広々とした空間。

中では「みんなのまち 大阪の肖像展」が開催されています。

構想40年の時を経て開館した大阪中之島美術館。

大阪の街の歴史が様々な展示品を通じて語られています。

各展示はエスカレーターを上り、入場するのですがワクワク感がありますね。

 

中之島を描いた作品。写真可の作品はそれほどありません。

今も昔も二つの川(堂島川土佐堀川)に挟まれ、橋の架かる中之島の姿は魅力的ですね。最近はなかなか船の行き交う姿は見られませんが。

 

大阪市立電気科学館(現在の市立科学館の元となった施設)のポスターもあります。

電気科学館の歴史はユニークで、大阪市の電気供給事業から宣伝塔として、また啓蒙施設としてつくられました。

電気科学館は、大阪市電気局が電気供給事業10周年の記念事業として計画した施設です。初期の建設計画案によると、館内設備は美容室、大衆浴場、大食堂、スケートリンクという内容で、電気利用のショールームとして考えられていました。その後、建物の建設と並行して、電気の原理と応用に関する展示物を陳列する展示場とプラネタリウムを設置することが決定され、1937(昭和12)年3月13日にオープンしました。

(中略)電気科学館の2階から5階までは「電気館」という名称の展示場で、電気知識の教育や電気応用の技術を紹介する装置が陳列されました。
開館時の施設は、2階はテレビ電話や真空管類などを陳列した弱電無電館、3階は発電所模型や電熱乾燥機模型などを置いた電力電熱館、4階は各種照明装置を展示した照明館、5階は電気の原理を解説する展示を置いた電気原理館という内容でした。
他の科学博物館で見られるような歴史的な展示は行なわず、電気の原理や応用技術といった科学の基本と最新知識の紹介に特化した未来志向の展示スタイルは、当時の日本では見られなかったもので、電気科学館が日本最初の科学館といわれるゆえんとなっています。

 

また、一度書籍で見たことのある作品が飾られており、オオッとなりました。

浪華写真俱楽部に在籍した小石清氏の『クラブ石鹸』の宣伝写真です。

1931(昭和6)年作ながら、いまにも通じるシンプルかつ目を引くデザイン。

my-butsu.hatenablog.com

☝この記事中で触れている西村智弘氏著『日本芸術写真史』に作品が載っていました。

 

展示を見終え上層階からエスカレーターを下ると、これはこれで違った見え方。

新しい美術館は中を見るだけでも楽しい*2ですね。

こちらもヤノベケンジ氏の作品

最後に『ジャイアント・トらやん』の写真でお別れです。

滅茶苦茶でかいです。隣のクレーンとダブって建造中のロボット感があります。

media.thisisgallery.com

もちろんただのデカイロボではなく、廃墟からの復興、未来の象徴たる子供たちとその夢を守る存在として作られたのだそう。

ちなみにトらやんは黄色いアトムスーツに身を包んだキャラクターです。

store.lammfromm.jp

てっきりメタリックなのかと……。不勉強ですいません。

ジャイアント・トらやん』のコックピット(?)にもトらやんはいます。足元からだとよく分かりませんが、作品のすぐ横に階段が設置されているので、上ると分かります。

なるほど色んな角度から撮影できるのですね~。

ここらへんで力尽き(足もビチョビチョだし)、宿へと戻った島鉄でした。

ラストチャンス?大阪市立美術館

雨の多いGW前半。朝から雨が降っていたので、毛馬こうもんでビショビショになっていた島鉄は、今日は屋内を楽しもうと決心し長年スルーしていた大阪市立美術館へと足を運びました。

なぜならこの歴史の長い美術館は、もうそろそろ改修工事で入場できなくなるからです!

うれしいことにほぼ撮影可能

もうこれが最後とばかりに写真を撮りまくってしまいました。

まず外観もすてきなのですが……。

背景にハルカス。無粋とみるか、歴史を感じるか。

中がメチャクチャ豪華です……!こんなラグジュアリー空間にわずか1,000円で滞在してよいのでしょうか。コインロッカーの100円も戻ってきますし(←どーでもいい)。

公営なので安くできる、税金の無駄ではないかという意見もあるでしょうが、私はお金をそれほどかけずとも文化に触れられるのはよいことだと思います。

なので、皆さんてんしばでBBQや、天王寺動物園で同じところをぐるぐる回っているオオカミ(あれストレスでそーなってるんじゃないでしょーか)を見るのもよいですけど、長期閉館前に市立美術館を見に行った方がよいですよ!!

 

はい。特段金銭の授受をしてないのに宣伝しました。

GWにやっていた特別展は「華風到来~チャイニーズアートセレクション~」でした。

正直に申し上げますと、私は中国美術にまっったく興味がなく、全然よくわからんけど美術館が閉まる前に入っとこう、てなスタンスでした。

 

ポスターやHP上にも載っているこの中華風の女の子の絵が気になったので、それだけ見られればいーかな、なんて低いモチベーション。

 

が……!前述のとおり外観もさることながら内装のゴージャスさに圧倒され、モチベーションがめきめき上がっていきます。

チャイナと言えば磁器、ですよね

うおおおおー!!景徳鎮*3の磁器!!!

花蓮池玉壺春瓶、だそう。元朝時代のものなので染付(青花)がまさしく始まったばかりのものです。

 

あ!街中で見た!!芸能人を見かけたときの気分です

ちなみにこれは島成園氏の『上海娘』という作品で、夫の転勤に伴い上海へ訪れた同氏が、現地の娘をモデルに描いたエキゾチックな雰囲気を湛えた絵です。

チーパオ(旗袍)は和服や漢・韓服と違った”騎馬民族の服“という印象で、エキゾチックに感じるのかも。

 

さらに中国といえば水墨画のイメージがありますよね。色々な水墨画が飾られています。写真は載せませんが、この他に拓本や工芸品、多くの書が展示されています。うーむ、大スケール。

わかりみ

そんな多くの展示品の中でもとりわけ心を打ったのがこの文と隠逸をテーマとする文人画です。

GW最終日だったこともあり、隠逸したいな……とゆー気持ちが増してしまいました。

隠居したくてもかなわないエリートの辛さ……は分からない*4ですが、隠逸したさだけは伝わってきます。

まあ、漁師は漁師で文人とは違う悩みを抱えていそうですが……。

 

中国と言えば、彫像も忘れてはなりません。

お寺で見るのとはまた違い、仏像を間近で裏も含めて見られるのが美術展示の良いところです。

この仏像の光背裏には中国古来の伝統図像である「巨大な太陽(内部に三ツ足のカラス)・月(内部にヒキガエル)・蛇をついばむ鳥」が彫られており、地域による仏教の受容をその目で確かめられます。

奥深いですね、チャイニーズアート。

 

さらに特別展のみならず、これまでの市立美術館の展覧ポスターやチケットの展示に、様々なコレクションも見られます。

こうしたコレクションを収蔵し、市民に触れる機会を与えてくれる美術館は貴重なのだな、と思わされますね。なにせコレクションできそうにないので。

また訪れる日はいつになることやら……。

さらば、大阪。

 

日本歴史民俗博物館の悔しい思い出

そんな大阪でのGWを満喫したのち、展覧会行かねばという思いが島鉄の胸に去来しました。毎度のこと少しでも気になったチラシはすべてもらってきて、いつのまにかほとんど会期終了している……なんて経験があります。

 

だからこそ!今持っているチラシの展覧会には必ず訪れるぞ!と部屋に貼り、忘れぬようカレンダーにも予定をセットしました(←あまりにも初歩的)。

 

しかし、残念なことに島鉄は時間にルーズです。それを知っているのでなるべく早めに行動しているのですが、最近失敗しました……。

それは『中世武士団展』が開催されている千葉県は佐倉市にある日本歴史民俗博物館に行こうとした日のことでした。

 

なんでまた、そんな展示をわざわざ見に行く気になったのかと言えばアニメ『平家物語』にドはまりしたのがきっかけです。

my-butsu.hatenablog.com

さすがに『平家物語』ロス、というほどではないですが、日本中世の武士について、より知りたくなりました。

 

アニメ『平家物語』は❝叙事詩ではなく、抒情詩として描いた❞ 

山田尚子監督が述べている通り、史実の「武家政権としての平家政権の隆盛」や「治承・寿永の乱源平合戦)」を描くというよりは、琵琶法師によって現代に至るまで伝えられた物語をアニメ化した印象が強いです。

 

琵琶法師によって脚色され、儚さと美しさを伝える『平家物語』の良さを知ったので、その元ネタ*5を見に行ったのです。

realsound.jp

 

ここは千葉だよ。



前述の日本歴史民俗博物館の最寄り駅は京成佐倉駅です。東京都からだと、まあまあ遠いのでありました。

それは分かっていたはずなのですが、遠いって言っても1時間くらいでしょ?

と舐め腐っていたため「予約した15時の10分前、博物館に着くくらいでいいだろう」なんてつもりで島鉄は家を出ました。

 

結果……!乗換駅を一つ間違え12分ほど無駄にした挙句、駅から15分の所をのんびり写真を撮りながら歩くという暴挙(←アホ)も合わさり、15時の10分前どころか15分後到着。

 

もっとも、再予約すれば入館できるとアナウンスがあったため余裕で受付へ向かう島鉄。中世武士団展がGWとはいえ、ここまで人気と予想していなかったのです。舐めてますね。

無情にも本日の予約枠は埋まっています、と宣告され(受付の人は申し訳ないですが、とおっしゃっていました。こちらこそ申し訳ないです……)、悔しいので今回の展覧会とは関係のない図録をじっくり見、買い物までしてしまいました。


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一応、根来寺の根本大塔の模型などは見られましたが。こちらもじっくり見ました。悔しいので。

↑↑見られた展示……以上!!

 

私の鬱憤を晴らすため国立歴史民俗博物館に誘ったところ、ついてきてくれたいそのくんに感謝です。

my-butsu.hatenablog.com

 

さよなら三角、また来て四角。

 

島鉄

 

*1:我ながら雨の日にこうもん見たさに川へ向かうってアホすぎますね

*2:翌々日に古い美術館もよいものだと気づきます

*3:島鉄でも知っている有名な陶磁器の生産地

*4:島鉄は多分いつ隠逸してもいい立場

*5:といってよいものか。現実の武士たちを見たくなった、ってことで